7月19日午後、各新聞社から河合先生の訃報を告げられた。昨年8月、脳梗塞で倒れられ、この日が来ることをいつも恐れていたのだが。
先生とのお付き合いは16年間に及ぶ。それは15年前に開催した本センター主催の第1回文化セミナー「大人への児童文化の招待」でメイン講師のお願いに京都へ伺ったことが始まりであった。以来、先生と会うために年5〜6回は京都や東京へ伺い、先生の文化論や生涯学習についての高説、そしてわたしの稚拙なそれらを、酒を飲みながら語りあったのである。その情景が昨日のことのように浮かぶ。そして、その語りあいから、「児童文学ファンタジー大賞」「文化セミナー」「児童図書相談士検定」「ブックスタート」などの公益事業が企画され、本センターの具体的な実践へと結実した。いつしか河合先生は本センターの主催者の一人として名誉会長職を引き受けてくれた。ただ、その時期に文化庁長官の任に就かれたのだが、公職上、他の団体の役員併任には文科省から注文がついた。しかし、本センターの役職を残す条件で文化庁長官を受けるという折衝をしていたことについて、わたしは全く知らなかったし、先生もそれについては一言もいわなかった。後日、先生の秘書からそのことの顛末を聞き、ただただ、感謝した次第。
「河合隼雄とは」のテーマは非常に難しいが、とにかく人間を底の底から観、そして愛した人であったことは間違いない。さらに地方文化の重要性を説く姿勢からは、人間「河合隼雄」の激しい一端が窺える。「工藤さん、大都市から新しいものはでやせん。文化は地方から生まれ出るもんや!」と机をたたく仕草。地方あってこその日本、そして日本文化の熟成という考え方は一貫した河合先生のパトスである。現在の地域格差(大都市-地方)の凄まじさを鑑みると、先生の声が心に響く。
1992年10月 小樽にて |
河合先生の過去の様々な業績について、ここで羅列してもつまらない。とにかく過去は過去として、いつも明日という未来に夢を見続けた人である。確かに「未来」という言葉からは我々も何らかの夢を感じる。ギリシャ神話の女神「ラケシス」は未来の神。そしてその意味は「共にわかちあうもの」。昨今の利益至上主義の風潮からは縁遠い世界、それが真の未来なのである。そのような意味で、「河合隼雄」という存在は、絵本・児童文学研究センターのみならず、今後の日本人の在り方を考える上で、欠くことのできない存在であったと思うのである。
歴史も文化も、全ては継続性からなりたつ。先生が逝かれたとしても、先生の残した様々な種子は時代を超えて生き続ける。それを信じて、我々は「前へ」行かなければならない。
(本文は北海道新聞 2007年7月23日 夕刊に掲載)
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