ドーンDAWN22号


選考結果

大 賞 該当作品なし
佳 作 該当作品なし
奨励賞 「こけし天国」 井上 晶子
    「鳥寄せ小太郎」 内藤 昭恵


 第20回児童文学ファンタジー大賞の公募は2013年11月から2014年3月31日までの期間で行われた。
応募総数191作。
 1次選考において12作、2次選考では7作が通過。3次選考会においては次の4作が候補作に決まり、最終選考委員にそれらの原稿を送付した。

  「こけし天国」        井上 晶子
  「おじいさんのロボット」  古市 卓也 
  「白神秘話」        綵川 青夏
  「鳥寄せ小太郎」      内藤 昭恵

 最終選考会は斎藤惇夫(委員長)、藤田のぼる、松本なお子、中澤千磨夫、工藤左千夫の各氏によって構成され、2014年9月7日、小樽にて開催された。
 選考会は、大賞推薦の有無から始まり、結果として大賞は該当作品なしということで、全選考委員の意見が一致した。
 続いて、佳作・奨励賞の選考審議に入り、佳作は該当作品なし、「こけし天国」(井上晶子)、「鳥寄せ小太郎」(内藤昭恵)が奨励賞に決定した。

受賞コメント

井上 晶子
(いのうえ あきこ)

神奈川県在住 46歳
学習院大学文学部卒
奨励賞「こけし天国」
286枚(400字詰換算)

▼受賞コメント

 昨年、初めて書いた長編はなんとか最終選考までは残りました。けれど、結果は惨敗。自分の力のなさに、しばらく落ち込んだことを覚えています。
 こんなこともあろうかと、「こけし天国」は、昨年の8月には第1稿が完成していました。DAWNの評を幾度も読み直して、「こけし天国」に何度も何度も手を入れました。これ以上は手を入れられないというところまで推敲して、締切には余裕を持たせて提出しました。けれども、時とは残酷なもので、最終選考のぎりぎり直前になって、直すべき個所、至らない箇所が目につくようになり、今更原稿を取りもどすこともできず、「今年もダメかもしれない」と落ち込む日々でした。
 ですから、最終選考会の当日、工藤先生からの電話を受けたときは、夢うつつでした。斎藤先生からの「(昨年に比べて)腕をあげましたね」の言葉に涙がこぼれました。
 選考委員の先生方、関係者の方々、スタッフのみなさん、選考には多大な労苦があったことと思います。そのなかで拙著を選んでいただき、ありがとうございました。そして、出来上がった原稿を読んで感想をくれた家族や友人、お祝いメッセージをくださった皆さん、本当にありがとうございました。
 また、「こけし天国」で取り上げている伝統こけしですが、その誕生のいわれについては諸説ありますが、子どもの誕生と成長を願うための人形というのが定説となっています。ですが、伝統こけしは、今に至るまでずっと、さまざまな誤解にさらされてきました。物語のなかで、いわれなく不吉と噂された徳治こけしのように。そうした残念な気持ちやこけし好きが高じてなのか、ある日突然、こけしたちがざわめき、動きだし、やがて物語となりました。何かを深く愛する気持ち、そこから物語は生まれてくるのだと実感できた作品でしたので、この作品で受賞できたことを幸せに感じています。(いつか本にできれば、とてもうれしいです。)
 とはいえ、奨励賞というのは、「これからが肝心です。もっともっと頑張りなさい」という応援のような賞だと思っています。もっともっと書いて書いて、今回の賞に応えたいと、気を引き締めているところです。



内藤 昭恵 
(ないとう あきえ)

群馬県在住  84歳 
奨励賞「鳥寄せ小太郎」
209枚(400字詰換算)

▼受賞コメント

 この度は幸運にも奨励賞を頂き誠に有り難うございます。
 小説など書いたこともなく、生まれて初めての作品が拾って頂けるとは予想もしておりませんでした。只々感謝感激の外ございません。
 実は、80歳の時に病気で命の危機を感じたことがありました。その折に「やり残したものは……」と思い浮かんだことの一つが此の童話でした。
 思えば幼いころから動物好きで色々なペットを飼いましたが、中でも「おしゃべり」が出来る鳥に惹かれて手乗りインコの繁殖などもやりました。そして一番飼ってみたいと思っていたのが「カケス」でした。和鳥の中での物まね上手は「九官鳥」次いで「カラス」と「オナガ」。「カケス」は鳥の鳴き真似も得意で大変賢く、自分で籠を抜け出しては又戻ってくると聞きました。猟師仲間からは「カケスが騒ぐと猟にならない」と言われるくらい敏感な鳥だそうです。それ故、残念ながら一度も出会ったことがありません。私にとっては幻の鳥。今回カケスを主人公にして私の夢も叶った心地がしております。そして、この物語を描くきっかけになったのは、自称「メジロとりの名人」と言っていた父が鳴き真似をしながら話してくれた鳥の話でした。亡き父もさぞ喜んでいることでしょう。天変地異。災害多発の昨今。もし、こんな小鳥がいてくれたら……。目の前の家や道路があっという間に流された災害の恐ろしさは身をもって体験したものです。
 尚、このような長編が書けましたのは七十歳から始めたパソコンのお陰だと言えます。文章の差し替え入れ替え、名前の変更など、一ッ発で修正。資料集めもインターネットで検索。画像はユーチューブで、と。これ無くしては作ることが出来ませんでした。戦中派の私にとっては将に魔法の箱です。平和で便利で、日々進化するこうした時代の恩恵に浴すことが出来たのも長生きをした幸せ。と、つくづく感じる今日この頃です。
 鬼籍に入る日も間近い身にとって、何よりの冥途の土産を頂き、こんな嬉しいことは御座いません。そして、勇気と希望も頂きました。もう少し頑張って生きてみようと思っております。

選後評

斎藤 惇夫
(さいとう あつお) 
選考委員長
児童文学作家/絵本・児童文学研究センター顧問
1940年生まれ・埼玉県さいたま市在住

●長年、福音館書店の編集責任者として子どもの本の編集にたずさわる。1970年デビュー作『グリックの冒険』で日本児童文学者協会新人賞、1979年『冒険者たち』で国際アンデルセン賞優良作品、1983年『ガンバとカワウソの冒険』(以上全て岩波書店)で野間児童文芸賞を受賞。2000年に福音館書店を退社し、創作活動に専念する。2010年『哲夫の春休み』(岩波書店)を発表。その他の著書に『なつかしい本の記憶』(共著 岩波書店)、『現在、子どもたちが求めているもの』『子どもと子どもの本に捧げた生涯』(ともにキッズメイト)、『いま、子どもたちがあぶない!』(共著、古今社)、『わたしはなぜファンタジーに向かうのか』(教文館)。現在、河童と天狗と九尾の狐を主人公とした物語を書き終え、刊行準備中。


静かにゆっくり自分に向き合ってほしい

 ここ数年、応募作品を読みながら痛切に感じることは、物語を書くことに、あるいは書きあげることに急(せ)くあまり、他ならぬ「この物語」を書きたいと思った、あるいは書かずにはおれないと感じた、その最初の促し(衝動)を忘れてしまっている作品が実に多いということです。物語の展開は「あらすじ」を書けるほどには考えられ、それなりの結末をも迎えているのですが、何故物語がそんなふうに展開していくのか、どうも釈然としない場合が多いのです。細部の描写がおろそかになり、ストーリーがプロットを置き去りにしている、あるいは、プロットがストーリーを支えていないのです。今回も、同じことを感じました。
 井上晶子さんの「こけし天国」は、舞台になっている雪国の、肝心の雪が描かれていません。老舗の旅館もまだ観察が不十分です。この二つを精緻に描きだすことが、この物語を支える支柱、ファンタジーへの鍵、物語と向かい合う自分の心に迫る道だったはずなのです。それが描かれていないために、そうでなくても難しい「こけしを生きたものとして人間の世界に登場させる」ことに成功していません。最後まで違和感が残ります。この作者は、ほんとうに雪国の美しさに心打たれたのだろうか、老舗の旅館に幾度も泊り、時を超えた静けさに震えたのだろうか、こけしの怪しくも可憐な姿に魅せられたのだろうか? ふと勘ぐってみたくなりました。ストーリーは、ミステリー風によく考えられ作られ、それ故に奨励賞に選ばせていただきましたが、なぜこの作者が、他ならぬこの物語を書こうとしたのか、それが見えてこないのです。ファンタジーになるかどうか、これから先の問題です。神は細部に宿り給えり、です。
 内藤昭恵さんの「鳥寄せ小太郎」は、読みだした時には、これだけ鳥に精通している方の物語なのだから、鳥の世界の、あるいは鳥の棲む自然界の、不思議さと豊かさを歌いあげた、我が国では珍しい、昔話や神話に近いファンタジーの誕生かと、心踊りました。それが物語を追うに連れ、人間の物語になり、人間のための鳥の物語になり、それはそれでうまく語られ、充分に奨励賞にはあたいするのですが、いつしか自然の不思議さは消え、驚きも失せていきました。つまりファンタジーを読む歓びが消えていったのです。主人公をせっかく鳥にしたのだから、もっと鳥の世界を、人間には見えない世界の豊穣さを描くことによって、人間の世界を写し出してほしかったと思います。
 綵川青夏さんの「白神秘話」は、昔話の語り手が同時にあの世の語り手でもありうるのか、昔話の語り手の跡継ぎは意識的に作られるものなのか、昔話「おしらさま」は「養蚕業誕生の物語として」語られ、聞き手、とりわけ子どもたちは(筆者自身も、何度か遠野で鈴木サツさんの語りを聞いているのですが、)決して暗澹とした、政治と性を匂わせる物語としては聞いてこなかったのではないか、だからこそ昔話として残ってきたのではないか、という深い疑問が生じ、物語にリアリティ―を感じることができませんでした。物語を作りたいという意識だけが先行してしまった作品と感じました。
 古市卓也さんの「おじいさんのロボット」は、現在、生産現場はもとより、医学の世界でも、原発事故処理も、あるいはすでに碁や将棋やチェスの勝負でも、人間に勝つところまできており、ひょっとすると脳の仕組みがさらに解明されると心まで持ちそうなロボットを、なぜ古市さんが、『鉄腕アトム』以前のロボットの描き方で物語にしたのか、最後までわかりませんでした。

藤田 のぼる
(ふじた のぼる) 
選考委員
児童文学評論家/(社)日本児童文学者協会事務局長
1950年生まれ・埼玉県坂戸市在住

●児童文学の評論と創作の両面で活躍。評論に『児童文学への3つの質問』(てらいんく)、創作に『雪咲く村へ』『山本先生ゆうびんです』(ともに岩崎書店)、『麦畑になれなかった屋根たち』(童心社)、『錨を上げて』(文溪堂)、講演原稿集『児童文学の行方』(てらいんく)などがある。創作童話『みんなの家出』(福音館書店、2013年4月刊行)で第61回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞。


読者からの共感度という点からも

 まずは「こけし天国」から。僕はとてもおもしろく読みました。印象的だったのは、人物配置の巧みさ。この作品には何組かの親子が登場します。主人公の薫とその母の撫子。撫子とその母で旅館の大女将の草子、草子と養母あるいは実父のこけし職人徳治、さらに旅館の客としてやってくる新地さんと息子の匠。これらの親子は、新地さん父子をやや別として、それぞれに確執を抱えていて、ストーリー全体としては親子の和解の物語として読むことができます。薫の両親は旅行業をやっていて、薫は母親のことを「副社長」と呼ぶ関係性なのですが、作品の舞台となるのは古い旅館で、そこにも大女将、女将といった関係性があるわけで、その意味でも、旅館を舞台にしたところはいい着眼だと思いました。そして、この作品で、特にファンタジーとしての仕掛けに関わるところでは、こけしが重要な役目を果たします。考えてみると、人間の場合、女の子がやがて母になり、祖母になりという、有限・変化の時間の中で生きているのに対して、こけしはある意味無限・不変の時間の中にいるわけで、その対比もおもしろいと思いました。文章表現にまだまだ甘さが残っているということや、「本格ファンタジー」としての骨格や思想性をどの程度に備えているのかという指摘もあり得ると思いますが、主人公の薫のとまどいや発見には読者の共感を呼び得る魅力があり、僕はほぼこのままの形でも、子ども読者に出会わせたい作品だと思いました。
 もう一つの受賞作である「鳥寄せ小太郎」も、おもしろく読んだという点では、「こけし天国」に勝るとも劣らないものがありました。農民である小太郎と、武士の子どもである真悟の二人が、カケスに変身するという意表をつく展開ですが、そのカケスぶり≠ノとてもリアリティーがあり、カケスに変身したことで彼らが様々なことに気づいていくプロセスが、独特の「成長物語」になっているとも感じました。もし、こういう読み物を載せる雑誌があったら、連載として推薦したいなと思ったりもしました。ただ、二人の物語であるのはいいとしても、前半が主に小太郎に寄り添って、後半は真悟に寄り添った形で語られていて、そこが作品世界として統一感に欠けている気がしたのと、小太郎と真悟を始めとする登場人物の行動原理がいささかわかりよすぎるきらいがあり、今少し彼らの心理的葛藤に迫ってほしいとも思いました。
 受賞に至らなかった二つの作品は、まったく持ち味の違う作品ではありますが、いずれもかなり方法意識が勝った作品で、その方法に作品の内実が充分についていってないという点では、共通する弱点を持っているとも感じました。「白神秘話」は、語り部である祖母に育てられた主人公・桃士が、自らの語りを獲得していくプロセスが作品世界となって展開していくという、ある種メタフィクション的な構造の物語ですが、桃士や白神が背負っている課題が心に響いてこず、全体が辻褄合わせのようになってしまった感がありました。また「おじいさんのロボット」は、本来感情を持たないはずのロボットが、不具合のために感情を持ってしまうという設定で、人間や人間関係の原初的なありようを問おうという意欲作といえるかも知れませんが、僕はそこに切実さを感じることができませんでした。ただ、無表情なはずのロボットが、見る角度によってさまざまな表情を浮かべているように思える、というあたりも含め、これがアニメーションで表現されたらもっと感情移入できるかもしれない、などと、勝手に考えたりしました。
 無論「読者」といっても一様ではないわけですが、僕が想定し得る大方の子ども読者からの共感度という点でも、「こけし天国」「鳥寄せ小太郎」二作の受賞は、順当だと思いました。

松本 なお子
(まつもと なおこ)
選考委員
ストーリーテラー、子どもと絵本ネットワークルピナス代表
1950年生まれ・静岡県浜松市在住

●浜松市立図書館に司書として32 年間勤務し、城北図書館長、中央図書館長を務める。その後図書館を離れ、子育て支援課長、中区長、こども家庭部長を務め、児童福祉業務に携わり、2011年に浜松市役所を退職。静岡文化芸術大学等で非常勤講師を勤める傍ら、各地でボランティア、教師、保育士等へのストーリーテリングや読み聞かせの指導にあたっている。主な著書に『これから昔話を語る人へ―語り手入門』(小澤昔ばなし研究所)。


共感と喜びを期待します

 「鳥寄せ小太郎」は、4作品のなかで最も楽しく、一気に読めました。両親を山津波で失い鳥刺しを生業とする小太郎は、鳥になったことで自分が人々の役に立てる可能性を見出します。代官の息子である真悟は、反発していた父親を理解し、後を継ぐ決心をします。鳥に変身しなければ出会うことのなかった二人の主人公が、互いに相手の視点を共有しながら成長する様が、災害や事件を通してテンポ良く描き出されます。二人を取り巻く大人たちが皆、誠実にそれぞれの役割を果たしていることも、読者に安心感を与えます。登場人物が類型的であることは否めませんが、この安定感と暖かさは、子どもを読者対象とした作品では大切です。舞台である御巣鷹山の地理や歴史的背景も丹念に描かれ、この物語をこの土地でこそ展開させたいという作者の強い思いが伝わりました。
 しかしながら、頻出する用語の説明は過剰に思います。もっと読者を信頼してください。また、冒頭の、鳥の鳴き声の詳細な記述も、読者を入り口で躓かせかねませんし、その後の展開にも繋がっていません。小太郎が鳥の寿命について語る場面も違和感があります。
 「こけし天国」は、母親とも自分自身ともぎこちなく向き合うこの年齢の女の子の葛藤と成長を、タイムファンタジーの手法で描いています。主人公薫の母撫子もまた、母親と折り合いを付けられずに苦しんでいることや、時を超えて薫が祖母と心を通わせていく設定は、同年代の読者の共感を呼ぶでしょう。物語は、薫が偶然見つけた「黒こけし」の謎解きを中心に展開していきます。舞台を古めかしい旅館とし、「今」と「過去」が交錯する場として「こけしの湯」を選んだことも、個性的なこけしたちの描き方も、面白いと思います。主人公の母子と対比して登場する1歳年上の匠とその父親も、うまい配置です。
題材としては魅力的な作品のはずなのですが、残念ながら、舞台の情景や出来事のつながりがすっきりと見えてこないもどかしさが、最後まで付きまといました。そのため、謎解きの達成感も薄まってしまいました。ことばとイメージの乖離も気になります。「こけし天国」というタイトルからは異なる内容を期待させてしまいますし、娘の誕生祝に毎年送り続けたこけしを「黒い」としたことも違和感を拭えません。また、「お気に入り」といった独りよがりの表現を何度も使ったり、同じパターンの形容詞を多用するなど、表現が単調な印象を受けました。
 「おじいさんのロボット」は、極めて現代的なテーマを扱った作品といえます。主人公のロボットは故障したことで図らずも人間性を獲得し、雇い主であるおじいさんもまた、失敗を繰り返すロボットをそのまま受け入れます。二人が互いに寄り添うという結末は、利便性を追及した結果失ったものを再び見直そうとする風潮の反映でしょうか。だとすれば、児童文学というより、大人向けのメルヘンと言ったほうがよいかもしれません。
 登場人物の描き方にも不揃いの感があります。絶えず自問する主人公と、彼に寄り添いながらも現実を突きつける饒舌なオウムとの対比や、夜の女王が主人公と出会うことで心を開放していく様子などは、丁寧に魅力的に描かれます。一方、のらネコの登場はありきたりです。ただ一人登場する子どもは、切実に物語を求めていることを予感させながらも、冷たくあっけなく退場させてしまいました。
 「白神秘話」は、月並みな展開と通俗的な表現の接ぎはぎで、物語が統一された世界の出来事として見えてきませんでした。姫の神やあゆ、あゆの父親の描き方も、場違いな感があります。何より残念なのは、展開の核となる桃士の「語り」が少しも魅力的ではないことです。語りは本来耳に心地よく美しく響くはずのものです。伝承の語りを題材にするなら、もっと敬意を払って書いていただきたいと切に思います。

中澤 千磨夫
(なかざわ ちまお)
選考委員
北海道武蔵女子短期大学教授/絵本・児童文学研究センター評議員
1952年生まれ・北海道小樽市在住

●著書に『荷風と踊る』(三一書房)、『小津安二郎・生きる哀しみ』(PHP新書)など。長年連載してきた『小津安二郎地名・人名事典』(仮題)(言視舎)を近々纏める。


日本は山の国であることを改めて教えてくれる。

 井上晶子さんの「こけし天国」。昨年からの精進が窺えます。とはいえ、物語の舞台が東北であるのに3・11の影が皆無なのが、私には不審。物語内現在はいつでしょうか。アリバイとして現在進行中の3・11に触れろというのではない。語り手・登場人物、ひいては作者にもその「影」が感じられないことの居心地悪さをいうのです。温泉地の具体的描写もありません。「東北」の架空の温泉だとしても、土地の確たる手ざわりこそファンタジーを支えるものでしょう。祖母が行くイタリアにも必然性が見いだせない。母や祖母の哀しみを探求することで自分と母の関係を修復するのですが、そのミステリー、謎解きの核をなす、母と祖母の確執、曽祖父とその兄弟子の確執、というよりも嫉妬・中傷の書き込みが不足。特に兄弟子の嫉妬にはリアリティーがありません。
 内藤昭恵さんの「鳥寄せ小太郎」。語り手の位置が気になります。江戸の物語を現在の語りでという手法。おまけに教育的過ぎます。解消法は、語りの位置をフラットにするか、語り手が積極的に介入することの自覚性を顕示するかのいずれか。私には後者の道を選ぶ方が好ましい。この物語は、日本は山の国であることを改めて教えてくれます。舞台の御巣鷹山は、いまや1985年夏の日航機墜落事件と結びつけられますが、本来は鷹狩り用の鷹を取る禁制の山だったのですね。御巣鷹山を日航機事故の呪縛から解き放ち、本来の鷹の山に帰らせたわけです。大きく扱われる山津波も、昨今頻発の土砂災害を想起させ、山国・雨国日本の現実を知らせるアクチュアリティも獲得しています。素晴らしいのは、鷹山の生活、鳥寄せという仕事の細部が丁寧に描かれていること。ファンタジー部分でカケスに変身してしまった少年たちが負った役割。上申書という形で、災害の現況や心得について説くのですが、注目すべきは、小太郎と真悟の身分の差。小太郎は山津波で両親を失い、名主に養われている。一方の真悟は代官の跡継ぎ。この差が、カケスから人間に戻るチャンスが訪れた時の選択を分けます。真悟は躊躇なく人間に戻り、小太郎はカケスのままでいることを選択。小太郎には越えられぬ分の自覚があり、カケスでいた方が人のためになる、つまり分が生かせると思うのです。ここに表れた悲哀が、読者を揺さぶります。何も、封建遺制などというものではなく、人はなんのために生きるのかという問題の提示なのです。杉浦弘子監督『ぬくめどり〜鷹匠の世界〜』という映画があります。鷹匠は鷹と生活をするのですが、それは「人(じん)鷹(よう)一体」という文化なのですね。分かりやすくいえば、鷹が人間になるのです。人間が鷹になる、「鷹人(ようじん)一体」とはまるで違う思想なのです。内藤さんは「人鳥一体」の世界を覗かせてくれました。
 古市卓也さんの「おじいさんのロボット」。登場人物はみな、「ひとりぼっち」を生きており、それを慰撫する他者の発見が課題。ここではアンドロイドならぬロボットの意味について考えてみます。おじいさんは寂しさ・孤独にかられ、ロボットの胸を開くのですが、発見したのは心臓ならぬ歯車でした。歯車はもちろん比喩的に使われているのであって、限りなく心臓に近づいても心臓ならぬ人造物であるのですね。先の「人鷹一体」の例になぞらえますと、ここに示されているのは、「人ロボ一体」でも「ロボ人一体」でもありません。どちらが優位に立つというのではない。諦念・虚無というと否定的に聞こえるかもしれませんが、世界のありようをそのまま受容するということなのです。ロボットはまさに文明の象徴なのです。ロボット工学の知見によれば、ロボットが意識回路を持つのは可能。これはまさに3・11後のアクチュアルな作品なのであり、ロボットと原発をアナロジカルに捉えるという誘惑にすらかられます。まあ、それは暴走でしょうが。

工藤 左千夫
(くどう さちお)
選考副委員長
絵本・児童文学研究センター理事長
1951年生まれ・北海道小樽市在住

●生涯教育と児童文化の接点を模索するために絵本・児童文学研究センターを開設(平成元年)。平成14年、特定非営利活動法人となる。現在、会員数は全国で1300名を超え、2年半にわたる基礎講座(全54回)を開講するとともに多様な公益事業に取り組んでいる。
著書『新版ファンタジー文学の世界へ』『すてきな絵本にであえたら』『本とすてきにであえたら』(ともに成文社)、『大人への児童文化の招待』(エイデル研究所 河合隼雄共著)、『学ぶ力』『笑いの力』(岩波書店 河合隼雄他共著)。 


創設二十周年「児童文学ファンタジー大賞」への想い

 本賞が始まって二十年、早いものである。今回は斎藤惇夫選考委員長と共に「ドーン」の冒頭にその想いをしたためるつもりであったが、紙面の都合上、選評の中でそれをすることにした。
一九九二年六月、第一回文化セミナー「大人への児童文化の招待」を絵本・児童文学研究センター主催で開催。そのときの基調講演は河合隼雄先生。そのほかにも神沢利子さん、佐野洋子さん、たかしよいちさんなど、当時の児童文化の講演会としては超豪華メンバーが揃い、参加者も一千名を超えた。同年八月、河合先生がセンターの顧問に就任。それから三か月に一度の割合で、京都や東京へと河合先生を訪ねた。センターの正会員(基礎講座全五十四回修了者)対象のゼミを年一回、小樽にて開講していただくこと、そして工藤のあたためていた企画、「ファンタジー大賞」を先生にぶつけてみた。前者は快く承諾していただいたが、後者については色よい返事をもらえなかった。それから河合先生を説得するために、幾度、足を運んだことか……。
 ようやく河合先生の承諾を得たのは、二年後であった。早速、福音館書店会長(当時)の松居直さんを紹介していただいた。一週間後、福音館書店童話セクション編集長(当時)の斎藤惇夫さんから、今回の企画について協力をいただける旨の連絡が入る。それから河合先生と相談し、選考委員の選抜と要請。(以下、敬称略)選考委員長 河合隼雄、副選考委員長に神沢利子、選考委員に佐野洋子、清水真砂子、工藤左千夫、中澤千磨夫など、各氏に決定してようやく船出した。
 それから二十年である。書面ではとてもその二十年は描ききれない。ただ、多くの関係各位、本センターの会員などの協力を得てここまで来たことは確かである。ひたすら感謝するのみ。
日本のファンタジーに一石を投じようとした想い、それは今でも健在である。本賞の継続はこれからが正念場、今後とも皆様のご協力を心からお願いしたい。

 選評については、新選考委員の松本なお子さんとほぼ同じです。今回は二十年の想いを優先させていただいたのでご容赦願いたい。

特集/児童文学ファンタジー大賞創設20周年

ファンタジー大賞20回を迎えて

選考委員長 斎藤惇夫

 この九月に、ファンタジー大賞の、20回目の選考会を終えて、今回も大賞はなく、お二人の方に奨励賞を差し上げるに留まったにせよ、ほっとしているところです。
 毎年7月の末に、最終候補作品の、原稿用紙にして200枚から400枚の生原稿のコピーが4、5点、センターから送られてきます。読み終えるのに1週間から10日。斎戒沐浴して原稿に臨むわけではありませんが、極度の緊張を強いられます。長年編集者をしていたものですから、生原稿を読むのは慣れているのですが、出版社に持ち込まれる原稿とは違い(応募総数200点を超え、その多さにいつも仰天・感嘆しています!)、それを、絵本・児童文学研究センターの会員の皆さんが懸命に読み、選び、その上で私たち選考委員のところに届けられたものなのです。準決勝に残ったアスリートたちを目の前にしているような眩しさですが、ひょっとすると、この中に、三代に渡って子どもたちが愛し守り抜く、古典となるようなファンタジーが、あるいは、磨けば珠になる作品が潜んでいるかもしれないという、祈りにも似た思いと、逆に、万が一にもそういう作品を見落としたらどうしようという緊張感が、綯交ぜになって襲ってくるのです。
 1989年に絵本・児童文学研究センターを開設なさった工藤左千夫さんが、センターの仕事の一環として、ファンタジー大賞を設けたいと河合隼雄先生に相談なさり、先生のご紹介で、当時の福音館書店の社長の松居直さんを訪ねていらしたのが、1994年のことです。そして、たぶんその日のうちに、編集責任者だった私は、松居さんに、福音館書店としては主旨に賛同し、積極的な協力をしたい、ついては、ぜひセンターとの窓口になってほしいと言われたように思います。私としても、河合先生から、小樽で、子どもの本のための新たな試みが始められたことは伺っていましたし、私たちの国から新たなファンタジーを生みだすことが、私たちの国の子どもたちと未来のために急がれていることもまた確かなことと思っていましたので、すぐにお引き受けいたしました。センター開設の主旨の、一人でも多くのおとなに、子どもの本の、類まれな面白さと深さを知らしめることは、間違いなく、日本の文化のありように深く関わる大切な問題ですし、出版社(編集者)の力だけでは、ファンタジーの書き手を発掘することにも、新たな書き手を育てることにも限界があると感じていたのです。経営会議で正式にセンターへの協力が決定されたのはその翌週だったと思いますが、工藤さんにその旨ご連絡し、お目にかかることになります。
 ファンタジーが、「目に見えないものを見えるようにする」ことであって、描き出された世界が、その世界の内部では「本当」であり、「物語られることがその世界の支配する法則にしたがっていなくてはならない」ことは当たり前のことです。したがってファンタジーを生みだすためには、トールキンが言うように、「妖精のような技を必要とする」わけですが、うまくいけば、「人間のもつ根源的願望の幾つかを満足させる」働きがあり、「そのひとつは、時間、空間の深みを探りたいという欲望」であり、「他の生き物と交わりたいという願望もそのひとつ」ということになります。そこに私は密かに、あるいは傲慢にも、もう一項付け加えてみたいといつも思っています。河合隼雄先生のおっしゃる『子どもの宇宙』に、「もう一度触れてみたいという願望」です。それも、うまくいけば、作者にも読者にも、そこが肝心なのですが、その願望を叶えさせてくれることになると信じているのです。子どもの頃はその宇宙の只中で夢中になって生きていて、それを客観視することなどとてもできなかったし、する必要もなかったのです。おとなになってようやく、子どもの頃に見て、触れて、感じていた世界の広大深淵さに気付き、それに形を与え、目に見えるようにしようとするのです。硬直した自らの精神を回復させるためです。そしてもしもそれに成功すれば、エセ宇宙が跋扈し、『子どもの宇宙』がはげしく浸食され、子どもたちが自分の時間を持ち辛くなっている今、子どもたちに、本来彼らが心の中に持っているはずの、宇宙を見て触れて感じる力をもう一度気付かせ、幾らかでも回復させてやることができるはずなのです。仮に、個々の作品がまだ未成熟で、子どもたちを力づけるところまではいっていないにしても、毎年、200名を超える応募作品があるということは、同じような思いで、ファンタジーに挑む方々が沢山いらっしゃるからに違いない、と私はそう思っているのです。
 私が選考に加わったのが14年前、福音館書店を退いてからのことです。以後残念ながら、大賞は生まれていません。佳作8点、奨励賞13点、奨励賞すらなかった年もあります。佳作は、ファンタジーになる可能性を大いに含んだ作品、奨励賞は、可能性を感じさせる作品で、実際にその中から6点が、その可能性を感じた出版社(編集者)によって、美しい本になり、子どもたちに届けられています。大賞が生まれなくても一向に構いはしない、と、開き直っているわけではありませんが、選考会のあと、私は、いつも清々しい気持ちに満たされています。「時間と空間の深みを探りたいという願望」「他の動物と交わりたいという欲望」「『子どもの宇宙』にもう一度触れたいという願望」、それらを満足させてくれる大賞が、おいそれと誕生するわけがないのです。それに、たしかに選考委員に選ばれた14年前に比べ、随所に「もうひとつの国に吹く風」を感じさせる作品は多くなってきています。あとは、物語を書かずにはいられなかった自らの心にどこまで誠実に迫っていけるか、細部をいかに目に見えるように鮮やかに丁寧に描き切るか、つまりは自らと、子どもたち双方をどれだけ満足させられるか、ということにかかっているように思います。来年もまた、楽しみに原稿を読ませていただきます。
 いつか、それもさして遠くではない日に、大賞が生まれるにちがいないと、私はかたく信じているのです。




児童文学ファンタジー大賞によせて

伊藤遊
(いとう ゆう)
●1959年京都市生まれ。立命館大学文学部史学科卒。
1996年、はじめての長編「なるかみ」にて第2回児童文学ファンタジー大賞佳作を受賞。翌年には『鬼の橋』(福音館書店)において第3回同大賞受賞。その他の作品には『えんの松原』(福音館書店)『きつね、きつね、きつねがとおる』『狛犬の佐助 迷子の巻』(以上ポプラ社)などがある。札幌市在住。


 児童文学ファンタジー大賞といえば、巨大なワープロを思い出す。我が家の隅っこで埃をかぶっていた機械だ。20年前、それを使って物語らしきものを書いた。
 拙い作品だったが、私は書くことのおもしろさを知った。自分の書いたお話で誰かを楽しませることができたなら。そんな野望すら芽生えた。ちょうどそのころ「梨木香歩さんの『裏庭』が第1回ファンタジー大賞を受賞」という記事が新聞に出た。
 第2回の募集要項も載っていたので、応募を決意。何かを成し遂げるという成功体験が乏しい私の目標は、最後まで書き切ること。締め切りに間に合うこと。さて、どんなお話を書こうか。わくわくしながら考えた。
 完成した「なるかみ」という作品を封筒に入れて郵便局へ向かう時の気持ちは、今もよく覚えている。目標を達成したのがうれしくて、年甲斐もなくスキップをしたものだ。そのあと我が身に起こることは、まだ予想もしていなかった。
 応募作は佳作に選ばれて授賞式に招かれた。学者、作家、出版関係者、ファンタジー作品を学んでいる生徒さんたち。大勢の人が集う熱気に満ちた会場で、私はひたすら途惑っていた。ドアを開けるとそこは見知らぬ世界、というのはファンタジーによくある設定だが、まさにそれを地で行く感じ。会場の廊下では、紳士がキツネやクマのお話について真剣に語り合っている。子どもの本に携わる人たちはとても熱かった。
 翌年に応募した『鬼の橋』という作品で大賞をいただいた。出版が決まり、これまた初めての体験に右往左往した。編集者の最初の言葉は「原稿を本にするには2年くらいかかります」。心底驚いたが、なんとか一年で許してもらえた。
 私に書く喜びを教えてくれ、本を出す機会を与えてくれた児童文学ファンタジー大賞。ありがとう。そして、20周年おめでとう。



正賞版画づくりの役得

手島圭三郎
(てじま けいざぶろう)
●1935年紋別市生まれ。日本版画家協会会員。絵本・児童文学研究センター顧問。
 北海道の大自然と、その地で生きる動物たちのいきいきとした姿を木版画で描き、日本のみならず世界からも高い評価を受けている。
絵本制作にも意欲的に取り組んでおり、世界各国でも翻訳・出版されている。作品に、絵本にっぽん賞を受賞した『しまふくろうのみずうみ』『かしこくいきるしまりす』(以上絵本塾出版刊)などがある。児童文学ファンタジー大賞正賞版画「冬の空」を制作。江別市在住。


 二十年前、工藤所長から新しく企画した「児童文学ファンタジー大賞」の正賞に版画作品を使いたいとのことで、私に制作の依頼がありました。文学賞といえばブロンズ像との既成概念があり、果たして私の木版画作品で良いのか、文学賞としての格がおちるのではないかと思う反面、立派な作品を作れば新しい文学賞の形として評価される可能性もあると思い、その責任の重さを感じました。大賞「冬の空」と、佳作は大賞の縮小サイズということでスタートしました。
 あれから二十年、果たして社会から木版画の文学正賞が評価を受けたかどうか、作者として気になりますが、厳選により大賞二点、佳作十点ではまだわからないのが現状でありましょう。
 版画には限定番号が入ります。正賞「冬の空」は百枚限定です。今まで二枚刷っただけですので、あと九十八枚刷ることができます。ですから毎年大賞が出ても、二一一二年まで続けることが可能です。現在のセンターの活況からみても、それまでの継続は可能でありましょう。それを考える時、誰が版画を刷るのかを考えさせられます。私は来年から八十代の老人になり、いつ版画の仕事ができない体になるかわかりません。今から若い後継者を考えておかねばと考える反面、できるだけ自分の力でこの仕事を続けることができたらと考えます。老人の生きる目安として大切なことと思っています。
 版画の縁で、受賞者の梨木香歩、伊藤遊、朽木祥、田中彩子さん等から新しい作品が刊行される度に送っていただき、受賞を契機にどんどんと力をつけていく姿を見てうれしく思い、若い人の現代への視点を学んでいます。そのお返しに私の絵本を送ると、親切な批評と作者への励ましのお便りを頂き、それがこの仕事をしての一番の役得かと思っています。
 毎年十一月中旬に行われるセミナーの日は忘れがたい印象を残します。北海道の秋は短く、最後の秋晴れの日か、まことに暗うつな日か、小雪の舞う日か、そして夜のパーティーのあふれるばかりのエネルギー、帰りの列車の窓から見える夜の日本海と、車窓に浮かぶ卒業して別れていく人、一年後にまた会える人たちの顔、みんな美しくまるで演歌の世界を思わせる日。セミナーが終わると本格的な冬になり、今年が終わるのです。