アポリア8号


十周年事業経過と本年度の事業展望

絵本・児童文学研究センター 理事長
工藤左千夫 

十周年事業をふりかえって

 昨年度(1998年4月から1999年3月)は、本センターの開設10年の年度でした。関係各位のご協力により、次の記念事業を遅滞なく終えることができました。
 本誌紙上をお借りして、心より御礼申し上げる次第です。

十周年事業

・第3回文化セミナー「いのち」開催
(敬称略)講演河合隼雄「子どものいのち」 
梅原猛「日本のいのち」 
松井孝典「地球のいのち」
 鼎談講師三氏による。
【日時】1998年11月15日
【場所】小樽市民会館(参加人数…1000名弱)
【追記】1999年3月18日 岩波書店より「いま、いのちを考える」のタイトルで刊行予定

・十周年記念誌の刊行(1998年11月15日)
記念誌は、巻頭に谷川俊太郎氏の希望により、「こどもたちこどもたち」の詩から始まり、河合隼雄氏、鶴見俊輔氏、神沢利子氏、斉藤惇夫氏、手島圭三郎氏、など、その他にも多くの方々にエッセイをいただき、無事、上梓することができました。

・手島圭三郎自選展の開催
【日時】1999年2月(3日間)
【場所】小樽運河プラザ(1000名が来場)
手島氏の自選による展示会。氏の初期作品から、現代にいたる画風変遷に驚かされました。まるで、二人展を鑑賞しているような錯覚に陥るほど、氏の内的世界を堪能させていただきました。

・情報センター開設の準備
この小見出については、来期を展望するなかでふれていきたいと思います。とにかく、ソフト・ハードを含めて開設に向けて順調なプロセスにあることをご報告いたします。

本年度(1999年4月〜2000年3月)の展望
 本年5月の理事会に提出する内容を述べるため、本章は、あくまで、予定としてお考え下さい。

・第四回文化セミナー「家族」(敬称略)
【日時予定】1999年11月28日
【場所】小樽市民会館
【講師】河合隼雄/山田太一
【鼎談】河合隼雄/谷川俊太郎/山田太一

 文化セミナーは、センターにとって重要な事業です。理由は、センターはあくまで生涯学習と児篁文化の接点を模索している機関だからです。現代社会において、単独で存在しえるものは皆無であり、それは文化運動においても然りです。運動の継続は、新たな課題との接触とも言え、その課題を広く深く取り組む契機として、セミナーの開催は必然とも言えるでしよう。

・児董文学ファンタジー大賞
 本年で5回目。今まで、本賞から刊行された作品は、『裏庭』(理論社)『タートル・ストーリー』(理論社)『鬼の橋』(福音館)です。特に、第3回大賞の『鬼の橋』は本年6月より、NHK‐FMラジオ「青春アドベンチャー」にて10回にわけて放送される予定です。(月−金)夜10時45分〜11時まで)
 このような、新作公募の長編文学の貫が、刊行や放送などを通して、社会における文化的役割を果たしつつある現状に大きな喜びを感じます。今後も、その意義を噛み締めつつ、本賞の継続に遭進したいと考えております。

・情報関連
 2000年5月に閉設される「国際子ども図書館」(国立国会図書館上野支部)含わせて、センターは文学賞情報/催事情報/読書相談のシステム化/他を含めて、急速な準備を行ないます。情報を国民共有の財産ととらえ、今後、センターの事業においても重要な柱となることでしよう。

・その他にも、多くの事柄があります。それらにつきましては、様々な媒体を通して、逐次、明らかにしてまいります。
 情報と文化 

 ―情報、そして情報化に思うこと―

国会国立図書館上野支部
国際子ども図書館準備室
阿蘇品 治夫

 広辞苑を紐解くと、情報とは「或ことがらについてのしらせ」と記されている。一片の紙切れに走り書きされたメモから数百万件のレコードを持つデータベースに至るまで、「しらせ」はまさしく多種多様であり、古来日常に溢れかえっている。さらに近年では「情報化」のおかげで、その量が飛躍的に増大し、さしずめ洪水の観を呈している。また情報化を発端に、思いもよらない現象・事件が起こり、それがさらに情報として流れて、我々の情報に対する理解を益々困難にさせている。

 所詮情報など「送り手」と「受け手」の間を流れるメモに過ぎない。そのメモの量が多かったり、中身が記号の羅列だったり、「送り手」と「受け手」が一対多だったりしているだけだ。ただそれだけだ。情報と取っ組み合って胃が痛くなってきたときには、単純明快にこう居直ることにしている。しばらくは楽になるものである。

 ついでにいえば、情報化とは、つまるところその送受量の飛躍的増大、送受パターンの複雑化、送受スピードの高速化であり、それ以上のものではない。どんなに技術が突っ走ろうと、「しらせ」があって「送り手」と「受け手」がいるという情報の本質を覆すような事態ではない。情報にまみれて恐怖を抱きそうになるときにはさらにそう言い聞かせることにしている。ほとんどこの呪文の効き目はなくなってきたが。

 さて、この情報化の進展に伴い、図書館の世界では「電子図書館」という概念が生まれ、実際に機能しはじめている。これは、端的に言えば図書館の利用形態を「来館して資料をみる」から「いつどこからでも必要な情報を入手する」ことにシフトさせることである。データベース化・デジタル化された所蔵目録や資料そのものを必要とする人々にスムーズに提供する。一朝一夕に近未来的な情報発信基地に生まれ変わることは有り得ないが、5年後10年後には図書館は現在の図書館ではなくなっていると確信している。

 この電子図書館では、これまでの図書館の持っていた情報に対する受動的なスタンス、すなわち求めに応じて情報を提供する、極端に言えば座して待つ態度は通用しない、むしろ障壁である。求められるのは「受け手」を意識し、積極的に情報をこしらえ、継続的に発信することである。

 我が国では本格的な電子図書館時代の到来は来世紀に入ってからであろうが、これまでその下準備に携わってみて言えることは、「送り手」にも「受け手」にとっても、情報化とは、決して何か我々を楽にしてくれることではない、ということである。確かに、大量の情報が瞬時に縦横に流れ、それをうまく使いこなすことが出来れば仕事ははかどり、痛快でさえあるだろう。インターネットで欲しい情報を一発で見つけ、感極まって涙が出そうになることもある。しかし、それは残念ながら情報化の表層を味わっているに過ぎない。

 「送り手」が本当に、まじめに、責任を持って、情報を送り出すにはさまざまな手間と労力を要する。情報発信の戦略を立て、飽きられないように情報の鮮度を保つこと、情報の乗り物であるコンピュータの維持管理を怠らない事、常に技術の進歩に取り残されないよう留意すること、さらには著作権を始めとする法律、そして倫理的な面にも気配りし、関係各位に迷惑を掛けないようにすること、etc……。「受け手」も同様に真撃に情報を受け止めるには、「送り手」以上に勉強し、情報の海に潜り込み、自分のためになる「しらせ」を見つけ出さねばならない。大袈裟にいえば、情報化は、「送り手」にも「受け手」も努力と根性と倫理観とセンスを要求するのだ。もう、これは大変なことである。

 最近仕事が何倍にも増え、気苦労の種が飛躍的に増加している原因は99%情報化のせいであろう(そうにきまっている)。しかし、ここでへこたれる訳にはいかない、きっと未来はバラ色になるというよい「しらせ」が舞い込むであろうから。

 シリーズ私を語るW

自分を語ったことを語る小文

児童文学作家 
絵本・児童文学研究センター顧問
神 沢 利 子

 「わたしを語る」という題をいただいてため息が出た。

 なぜなら、これ迄わたしの書いた文は全部自分ばかりを語っていたので、もうもういやになっていたのだ。

 それに、この2年の間、わたしは2人の筆者を前に語り続けて来たのである。自分の生いたちからはじまって、現在に至る75年の人生を――。

 大体が頭脳明晰とはほど遠く、その対極にあるもつれた毛糸玉のごとき頭では、人の問いに適確な応答のできようはずもない。文を書く時は、時間をかけて何とか処理しても、即時では困るのである。まして、テープがそこで回っているだけで焦ってくる。何か喋らなくてはと、愚にもつかぬことを云う。

 問いの意をとり違えもする。ひとつのことを語ろうとして、周囲をめぐるばかり。聞き手のご苦労が思いやられ、気がめ入ってくるのだった。

 出来得る限り飾らずてらわず、正直にと思いつつも、思い余ってのはみ出しもあって、どうまとまるのやら。助手をつとめるわが娘は、関西で云うエエカッコシイの母親が、またエエカッコしたがるのかと、見張るがごとく傍に控えている。老年の母がすべての気どりや見栄や、ひとの思惑など一切から自由になれかしとねがっているのだ。だが、このわたしは、いまだ、エエカッコすることがその人を支えもすると信じてもいるので、困る。そんなふうに何や彼や喋ったのだが、あることないこと? さあ……??。

 その本は多分オクラにならなければ6月頃出版(晶文社)予定だ。さて、そこで人目にさらされたわたしは、ほんとうのわたしかしら。自分が語ったのだから、それは違うとは云えない自分がそこに在り、さて、それは一体どんなわたしなのだろう。筆者の眼が加えられ、焙り出されたものは……。

 実にとらえどころなく、一貫しない人間ではなかろうか。時にきまじめでしおらしく、やさしげで、時に荒々しく、イタズラで、時に耐え忍ぶ女であり、時に身を責め嘆き苦しみ、次にけろりとし、図太くしたたかで、妙につましく。まったくもってその場その場で変わり身の……節操なき無頼婆が真相らしい。

 しかたない。こうして生きてきたわたしにはもはや、生き直すすべもないのだ。

 その折々の自分に正直なわたしでいるよりしかたない。ため息にはじまりため息に終ってしまった。

 連 載

 「書物と人の女性史 W」

 ― 福沢諭吉の『新女大学』

 小樽商科大学教授・付属図書館長
 絵本・児童文学研究センター理事
 倉 田稔

 福澤〔以下、福沢と書く〕諭吉(1835〜1901、天保5〜明治34)は、日本における男女対等論を最も早く発表した近代思想家である。彼は、徳川幕府時代の下級武士として、中津藩(大分県)に生まれた。幕未と明治の時代の啓蒙的大思想家であった。

 彼は大阪で学び、その後、江戸に出て、初めオランダ学、その後、英学を学んだ。彼は明治時代の大教育家であり、高名な著述家であった。福沢は、封建制度とその思想に反対した。

 多数の著述の中で、彼は女性論も書いたが、さしあたり、彼の女性論で有名なものは、「新女大学」全23章である。これは『福沢全集』(国民図書株式会社)第6巻〈大正15年〉に収録されている。この書は、初め、彼の創った『時事新報』で出た。

 この本の標題は、江戸時代の貝原益軒(1630〜1714)の「女大学」にちなんでつけられたもので、「新」としたのは、貝原の、古い「三従七去」などの日本の封建的女性道徳に反対したからである。「三従」とは、女性は、初めは父に、次いで夫に、最後に息子に従えというものである。福沢は、貝原の本をよく読んでいて、評注を書いていた。それは「女大学評論」である。

 この「新女大学」は、「女大学評論」とともに、明治32年(1899)11月に発行された。

 福沢は、その「新女大学」で、こう薦めている。女子に、男子と同じように運動をさせること。夫は、妻の子育てに助力すること。女性が、詩歌管弦、お茶、華、などの教養だけでなく、むしろそれらは適当にしておいて、女性が学間をすること、特に物理や経済や法律を学ぶべきだ、などである。最後の説は、彼の『学問のすすめ』の教えと同じである。また、その教育論は、メアリ・ウルストンクラフトのそれにも似ている。それ以外に彼は、親が娘に結婚を無理強いしたりしないこと、女性が自分の乳で子供を育てた方がよいこと、女性は気品を持っているべきだ、などと奨めている。

 当時、つまり明治時代にこういうことを述べたことは、一部の議論を除き、画期的なことであった。その書「新女大学」で福沢が言うことを、さらに少し紹介する。

 福沢が「女子に経済の思想を要す」(627頁)というのは、女性が夫に先立たれたたりしたなら、女性は自分で家の経済・経営をしなければならないからだ、と彼は言う。「そ〔経済〕の思想の皆無なるこそ女子社会の無力なる原因中の一大原因」(627頁)である、と。

 福沢はまた、夫を亡くした女性に、再縁(=再婚)を奨める。それを禁止するのは、「貞女二夫にまみえず、など根拠もなき愚説」(633‐4頁)であると、一蹴する。

 福沢の議論は、現在の日本ではほとんど常識になっているし、部分的には古い所もある。それはしかし当然であろう。だが、次のような要求には、現在の日本男性でもグサリとくる人もいるだろう。

 子育てについて、彼は言う。「父たる者は、そ「=妻」の苦労を分ちたとひ戸外の業務あるも事情の許す限りは時をぬすんで小児の養育に助力し暫くにても妻を休息せしむべし」「夫が妻の辛苦をよそに見て安閑たるこそ人倫の罪」であると。(607〜8頁)福沢は、日本の園際化を目前として、旧来の日本女性のあり方では恥ずかしいと思い、常々考えていることを、このように一気に論じた。

 なお、彼には、明治18年発行の「日本婦人論」もある。福沢について、最も詳しい早い伝記は、石川幹明の『福沢諭吉伝』全4部である。 


 BOOK GUIDE

 伊 藤 遊 著『鬼の橋』

 北海道武蔵女子短期大学 教授
 絵本・児童文学研究センター 評議員
 中澤 千磨夫

 むろん橋の向こうにもそこに住む人々の日常はある。とはいえ、古来、橋は境の場所。こちらに住む身にとって、あちら側は恐ろしいことが待ちうけているかもしれたかむらない非日常の異界なのだ。開巻3行目。「東へむかう篁の重い足どりは、大路の果てに鴨川が見えると、さらににぶくなった。川にかかる五条橋の手前で、彼の歩みはとまった」とある。少年・篁の足どりが重いのは、うだる暑さのためばかりではない。「橋のむこうには、行ことを禁じられた場所がある」からだ。五条の橋を越えてしばらく行けば、やがて『徒然草』に謳われ、『源氏物語』では葵上が葬られることになる鳥辺山だ。鴨川も数知れぬ屍であふれている。主人公は越境するものの謂だから、『江談抄』『今昔物語集』などで閻魔大王の冥官と伝えられる小野篁の登場に、読み手の期待はいやがうえにも膨らむ。

 もう少しこだわろう。なぜことさら「東へむかう」と書かれねばならぬのか。地理上、鴨川や鳥辺野が東方にあるからというのでは、語るにおちる。死を暗示する西ならぬ、希望の東に進むことに意味があるのだ。これから橋の向こうでは、篁の心の傷となる大きな事故が起こる。隠れ鬼をしているうちに、古井戸で異母妹・比右子を死なせてしまうのだ。井戸もまた地下(あの世)へ通ずる境界である。実際、篁はこの井戸から冥界に入りこむことになる。魔界の入れ口である。

 この物語は篁の心の成長を描くのであるが、「東」は最後に父が赴任する東国陸奥へ同道しようとする彼の決断と希望に通じている。「篁は瞳をあげて、はるかな陸奥を思った。冬のきびしい寒さ。言葉も習慣も異なる人々。そこには、どんなくらしが待っているのだろうか。たびかさなる戦は、かの地に深い傷あとをのこしているにちがいない。土地も人の心も荒れてしまった陸奥に、種をまき、実りをもたらすことができるのだろうか。都からやってきた国司の一家は、あたたかくは迎えられないかもしれない。だがいつか、ともに生きてゆく道が見つかると信じたい」。末尾近くにある彼の成長の徴だ。共生という考えのあらわな出現には不満なしとはしないものの、これが篁が五条橋の下に住む少女・阿子那や片つのの鬼・非天丸、そして死してなお都を守護する坂上田村麻呂との交流によって辿りついた境地なのである。それは自らを相対化することであり、ひいては都=中央集権を、史観を相対化する眼の獲得というものなのである。篁を導いたのは死者たちだ。そもそもは比右子の死から始まるわけで、鬼は死者の魂だ。阿子那とて父の死によって橋を守ることになったのだ。彼ら異人たちとの出会いが篁を異族の地に赴かせる。

 冒頭なにげなく置かれていた「東」という言葉に、少年の行くすえは暗示されていた。小説の醍醐味は細部にこそある。とはいえ、『鬼の橋』は、かくさりげない巧みを楽しませてくれるのみではない。小さな発見が、大きくゆったりとした物語の流れの中に点在しているのだ。実にいい。

 6月より、NHK‐FMラジ才「青春アドベンチャー」放送予定(月−金 夜10時45分〜11時まで)