アポリア7号


絵本・児童文学研究センター10年の歩み V

― 児童文学ファンタジー大賞の創設 ―

絵本・児童文学研究センター 理事長
工藤左千夫 

 1995年11月26日、小樽市民会館において、第2回文化セミナー(大江健三郎/河合隼雄/谷川俊太郎)が開催された。その冒頭は、本センター主催の第1回児童文学ファンタジー大賞の授賞式。大賞 梨木香歩『裏庭』 / 佳作 樋口千重子『タートル・ストーリー』大賞・佳作共に理論社より刊行)

 本賞の企画は、授賞式年次から2年前に遡る。既存の大賞(児童文化関係の賞は80前後)に比して、応募規定枚数が80〜500枚と、当時(現在でも)もっとも多い。

 ファンタジーとは、どのような感覚なのか? これは、極めて難しい。類似の賞を見ると、青春ロマンの延長程度。

 本賞の企画は、センターの創設期からの課題とも言えた。もともと、カルチャー的感覚から始まったセンターではあるが、基礎講座全54回のうち、実に、十数回の講座はファンタジーのそれである。極論を言えば、ファンタジーを取組むために他の講座の位置づけといってよいほど。しかし、河合先生は「日本人の感覚には、ファンタジーが難しいのではないか」と……。確かに、ファンタジー的感覚を知れば知るほどそのことは理解できる。

 だが、踏み出した。

 賞概要の決定。1回ごとの運営にかかる費用の算定 (凡そ600万)。後援・支援団体の確定。最終選考委員への依頼。(第1回〜第3回まで、河合隼雄・神沢利子・佐野洋子・清水真砂子・中澤千磨夫・工藤左千夫) とにかく、1994年の秋、全国公募にセンターはふみきった。翌年の3月、応募総数が200点を超え、順調に始動。以来、1次選考、2次選考、3次選考、そして最終選考会(9月)に臨んだ。

 第1回ということもあり、選考委員のメンバーも実務メンバーも緊張ぎみ。紆余曲折はあったものの終了した。

 以降、翌年の第2回も同じ方式にて、佳作のみが決まった。「なるかみ」(伊藤 遊 福音館書店から刊行予定)

 第3回は大賞のみ。「鬼の橋」(伊藤 遊 本年11月に福音館書店より刊行)

 本年は、第4回を迎え、秋に結果がでる。また、最終選考委員の規定により、第4回から委員構成の一部が変った。新選考委員は委員長に河合隼雄、今江祥智・阪田寛夫・脇明子・中澤千磨夫・工藤左千夫である。

 本賞の継続と児童文化の発展についての評価は、今後の課題。しかし、評価は先にしても、継続の意味をかみしめながら回数を重ねていきたいと考えている。


 情報と文化 

 ― インターネットのある日常 ―

 小樽商科大学教授
 絵本・児童文学研究センター監事
 高宮城 朝則

 インターネットは何であるか。こう問われれば、人間とは何であるか、と問われるのと同様にどうとでも答えることができよう。私にとってインターネットは何ものでもあるし、何ものでもない。

 まず「何ものでもない」ところから始めると、インターネットがあることは私にとってごくありふれたものとなっている。実際、職場のパソコンはLANを通じてインターネット世界に常時つながっている。メールが内外から入ってくればパソコンがチャイムを鳴らしてメールをすぐに読めるようにしてくれる。仕事関係の連絡もメールが主流になりつつある。パソコンのハードディスクにあるファイルを取り出すのと全く同じ操作、同じ感覚でインターネット上にあるファイルを呼び出したりコピーしたりしている。昨秋のダイアナ妃の葬儀もインターネットによる中継をパソコン上で見ていた。わからないことや知りたいことがあれば、電話をしたり本を開くよりも先にネットで検索をしている。

 とりわけ専用回線でインターネットに常時直結している場合、インターネットはこういう風にごく日常的な、ありふれた道具になってしまうのがふつうだろう。特に「インターネットだから」という意識はほとんどなくなってくる。自宅に帰ったら電話回線を経由したアクセスだから、電話料金などが気にかかり、ややありふれたものではなくなるが、それでも「これは?」と思ったときにはどんな時刻でも気軽にアクセスしてしまい、気がついたら1時間もネットをうろついていたということもしばしばである。

 その一方で、日常から少し離れてみれば、インターネットは世の中や人間を大きく変化させる契機になっていることも実感する。たとえば、猥褻というものごと。インターネットの普及によって現在、その法的な規制や運用がゆらいでいることはよく知られている。インターネットによって外国に自由にアクセスでき、この国で猥褻とされ公序良俗に反するとされているものがどんどん普通の生活の中に入り込む余地が生まれて、「困ったものだ」ということである。しかし問題はそんな単純なことではないだろう。これまでの法の運用のあいまいさをかえりみれば、そもそも猥褻というものごとについて、この国で本当に考え抜かれ明確な意味づけ、規定がなされてきたのかという疑問に達しないだろうか。

 ビジネスや経済の分野でも同様だ。これまでこの国の企業や個人を縛りつけていた各種盛りだくさんの規制と裁量行政と呼ばれるものの存在のかなりの部分は、インターネットを通じて自由に諸外国や地域・個人とやりとりできることにより、非常に危うくなっている。これは、そもそもその規制は誰のためのものだったのか、何のためのものだったのかという根本的な問題への解答を迫っていると言える。

 この国の社会があいまいさを基盤にしながら、内的には絶妙なバランス感覚の上に成り立ってきたということは確かだろう。だが、とりわけインターネットの登場はものごとを明示的にしないでは、もはや多くが成り行かないところまでこの国を追いつめている。この意味で、インターネットはものごとの本性、本質を明らかにする契機になるのかもしれない。

 ここまで思いが及ぶと、私にとってインターネットは「何ものでもある」と痛感してしまう。しかし日常は待ってはくれない。インターネットの時代は原稿の入稿も電子メールを使うから、締め切り過ぎにそば屋の出前よろしく「たった今投函しました」といってから書き出して何とかしのいでいたのに、それができなくなってしまった。この原稿もしかりだ。怠慢というか遅筆というか、とにかく私の本性とか実力(のなさ)というものが明らかにされるのだろう。

シリーズ私を語る V

わたしの童話
― その創作活動 ―

日本児童文芸家協会 評議員
絵本・児童文学研究センター評議員
続橋 利雄

 昭和19年4月、特別幹部候補生を志願した私は当時16歳だった。3ヵ月の短期教育で、軍隊生活の肉体的苦痛さに悲鳴をあげそうになりながらも、何とか克服して満州に転属し、更に厳しい訓練でいためつけられた。やっと原隊に復帰して、楽な日々を過ごせるようになったと思ったら、2ヵ月ほどで終戦を迎えたのである。

 4年間のシベリヤ抑留生活に耐えぬき、復員したのは昭和24年10月末だった。運よく翌年7月15日付で復員先の地元(泊村盃)の小学校に着任し、代用教員として教壇に立つことができた。以来5年間は、教育実践と教員免許取得のための勉学とを両立させるのに、骨身を削るような日々を過ごさなければならなかった。

 昭和31年に大学通信教育を卒業してから、それまで心の底に沈んでいた創作への夢を膨ませて童話を執筆するようになった。作品が出来あがると、教職員の文芸誌『文芸広場』(公立学校共済組合発行)に投稿しているうちに『アワビ』という題の生活童話が入選し、活字となって載ったのである。その時の感動の強さが、私の心を童話の世界に引きずりこんだのだった。

 以後、毎年2・3編の作品が載るようになり、昭和41年度に童話年度賞を受賞することができた。年間最も活躍した者に授与される賞であって、当面の目標にしていた受賞だけに、その感激は大きく、一層精進しなければと、自分自身を鼓舞したことを今でも鮮明に覚えている。

 私が童話創作活動をするに当たって、つねに自戒していたことは、教壇実践をおろそかにしないということである。それには、次の事実が背景にあった。

―その6年前、職場の仲間と同人誌『兆』を作り、それに小説『仮面』を発表した。6年の女子A子が修学旅行から帰宅した日の晩、母親とのいさかいから家出し、川に投身自殺したという実話を題材にした作品だった。その小説を校長が職員の机上にあるのを見つけて、こっそり読んだあげく立腹したという事実を日直の先生から耳にした私は、すぐさま校長室を訪ね、部屋のテーブルに対面して座った時「こんな同人誌を作りましたのでお読みになって下さい」と、雑誌を差し出して言った。すると、校長は「小説を書きたいなら教員を辞めた方がいいよ」と冷ややかな視線を向けて言った。私は反駁したかったが、黙っていた。「教師稼業と創作活動を両立させることはできまいぞ。どっちかにした方がいいと思う」と重い口調でたたみかけた。(好きなものはやめるわけにはいかない。おれは絶対両立させてみせるぞ)と心に誓っただけだった。それから何十年も校長の論理の誤りを立証するかのように創作を続けた。― 

 私は定年退職して5年経った時、平成6年4月に『小学生文芸』を創刊した。創刊にふみきるまでには、永い間葛藤を続けたのである。65才にもなって、何も雑誌づくりという冒険をすることはないだろう。執筆に専念した方がいいよ、という否定的な心と、38年間も国語教師として飯を食ってきたおまえは、国語の研究授業とか作文指導の研究会等の場で随分意見を述べてきた。おまえの指導理論や技術を、今の子どもたちに語りかけて手助けしたら、子どもたちの作文力向上につながるではないか。大いにやるべきだよ、という肯定的な心との葛藤だった。

 結局、私は子どもの作文力向上に力を尽そうと決断したのである。

 1号・2号…と年3回の発行は、実にめまぐるしく私の行動を制約する破目になった。仕事に追いまくられながら、『小学生文芸』に私の魂を吹き込むように全力を注ぎこんだ。そうした私の意気込みが、空回りになっていないことが、読者からの便りが証明してくれた。『小学生文芸』を読むと、先生の気魄が伝わってくると……。

 4年間で12号まで発行して終刊した。終刊を惜しむ声も寄せられたが、現下のきびしい児童文化環境の下で、4年間も孤軍奮闘して良質の雑誌を発行し続けたということは、私の七十年の人生の中でも最も充実した重い体験であった。

連 載

「書 物 と 人 の 女 性 史V」

アウグスト・ベーベルと『婦人と社会主義』

小樽商科大学教授・付属図書館長
絵本・児童文学研究センター理事 
倉田稔

 アウグスト・ベーベル(AugustBebel,1840ー1913)は、古いドイツの社会民主党の最大の政治指導者である。彼は職人で、その後、親方になった。労働者教育協会で活動しているうちに、政治に目覚め、ドイツ社会民主党を作り、その最高指導者に推された。そしてドイツ帝国議会議員にもなった。

 ベーベルの主著は、名著『婦人論』であり、原題は 『婦人と社会主義』(『女性と社会主義』と言ってもよい)である。日本では、大月書店と岩波書店で、翻訳がある。

 彼は、マルクス(1818ー1883)とエンゲルス(1820ー1895)の弟子であり、マルクス主義が正しいと見た。当時のドイツ帝国で、その強力な首相ビスマルクと、政治的に渡り合った。もちろんベーベルは、国民一般大衆と労働者の立場に立って、ビスマルクと闘ったのである。ドイツ労働者は、ベーベルを尊敬し、また愛した。

 ベーベルはいつも戦争に反対したので、その度に監獄にほうり込まれた。彼はしかしその間、監獄で勉強した。1879年に、ベーベルはこの名著『婦人と社会主義』を出版した。だが、ビスマルクの悪名高い「社会主義鎮圧法」の時代だったので、秘密に出版した。それにもかかわらず、本書は売れに売れ、当時のベスト・セラーになった。人々は秘かに買ったのである。その後、全世界で各国語に訳された。

 ベーベルのこの本は、画期的である。世界の歴史は男性と女性によって作られてきた。だがどんな歴史の書物でも研究でも、当時までは、ほとんど女性が登場しないし、主役を演じていない。だから女性の登場する世界史を、ベーベルは第1編で描いた。第2編では、現代の女性の社会的立場を全面的に分析し叙述した。第3編では、現代の国家と経済を研究している。最後の第4編では、将来の社会と女性を論じた。 本書は、特に第2編だが、女性論・婦人論の体系的全面的分析であり、その点で、婦人論中の婦人論である。女性にとってのあらゆる重要な社会・経済・政治・生活問題が考察されている。売春問題から労働問題にいたるまで、である。それゆえ、本書は婦人論の中のトップに位置するもので、また有名なものである。 

 ベーベルは、女性が、男性と違って二重に抑圧されていると主張する。男性は、労働者としては資本に従属しているだけだが、女性はそれに加えて、男性にも従属している、と言う。 

 どうすれば、女性が能力を発揮できるような社会を作れるのか、と彼は問う。

 彼は、未来の理想平等社会を指し示し、女性は男性とともに、そういう社会を闘いとらねばならないと説く。それは、当時言われた社会主義である。社会主義が女性問題の解決になるとは限らないが、彼の社会的女性の分析はいつまでも重要である。

 現代、フェミニズムの運動をし、あるいは学ぶ人は、本書を学ばないではいられないだろう。ベーベルとその『婦人論』については、私の書いた 『ベーベルと婦人論』(成文社)で、案内と解説がされている。なお、ベーベルその人について知るには、手に入りにくいが、『ベーベル自叙伝』の抄訳もある。ベーベルの作品はとても数が多く、政治的小冊子、論文があるが、完全な翻訳としては、『婦人論』ぐらいしか今はない。 


BOOK GUIDE

 樋口千重子 著『タートル・ストーリー』

 北海道武蔵女子短期大学 教授
 絵本・児童文学研究センター 評議員
 中澤 千磨夫

 小首をかしげ遠くを見つめる亀とそれを見守る少年の後ろ姿。白地に淡く浮かぶ広瀬弦のなつかしげな絵をあしらったカバーをそっとはずすと、めりはりを利かせた濃淡のマリン・ブルーの本体が現れる。これまたなつかしく粗いその手ざわりにいざなわれ、物語の世界に入っていこう。

 「マンハッタンのグランド・セントラル駅からは、北に伸びる郊外電車の線(ライン)が三本出ている」と、語り手はいきなりニューヨーク生活の細かな情報を私たち読者に提供する。下手をすれば、ペダントリーとも押しつけとも取られかねない。しかし、語り手「僕」が十五、六歳のデイビッドというアメリカ人だと分かるのはすぐのことだから、そんな恐れもあるまい。というより、たとえば 「「オリエント・エクスプレス」」、「ザガード」といった挙げればきりのない細部のリアリティーが、この物語の大きな力を保証しているのは疑いがない。

 「僕」が語るのは、7年前の出来事。飛び級で4年生になったデイビッドは、ニューヨーク郊外に住む孤独で本好きな少年。たった一人話しかけてきたのが、日本人のマモルだ。そのマモルが日本へ帰る時、「僕」に託したのがタートル。このタートル、ある日突然話しだす。おまけにオスだと思っていたのがメスだった。なぜ、タートルはマモルには話しかけなかったのか。それは、マモルの心が本当の意味で異文化に開かれていなかったからだろう。日本へ帰って勉強に付いていけるかどうか心配するマモルは、結局は日本人社会に組み込まれた存在でしかなかった。デイビッドはどうか。話しかけてくるのは〈他者〉たる外国人だけで、想像の世界に遊ぶのが好きな彼がタートルの話し相手に選ばれたのも無理はない。海洋生物学者という「無用」の人を目ざしていたのも、その意味を強める。

 情報小説の側面に加え異空間との往還という骨組みが、この作品を全き都市小説としている。タートルに導かれ、デイビッドは二度にわたりニューヨークという異界へ旅をする。そのニューヨーク行が、登校拒否を決意していた彼を学校へ連れ戻すきっかけとなる。エリカという新しい中国人の友も出来る。だがその時、異空間からの使者たるタートルはその役目を終えて、デイビッドの前から姿を消す。明らかに『竹取物語』をなぞった月夜の帰還はあまりに美しく、あまりに切ない。七年前のこの出来事は、「僕」の記憶としてだけ永遠に封印される運命にあるのだが、それでも「僕」はタートルが戻ってくることに一縷の望みを抱いている。

 その形状からしても、シンボルとしての亀は天/地、女/男といった全体性と両性具有を表す。「僕」は母の服飾に妙に詳しいことなど、女文化に新炙した存在。またある意味で子どもは両性具有者。子どもから大人へというリニアな発達図式を反省してみよう。まっとうな男、まっとうな女という幻想、あるいは男/女という截然とした二分法がいきづまった現在、「僕」というアンドロギュノスの可能性は、タートル・ストーリーをトータル・ストーリーに広げていく方向を示唆している。

 理論社 ・本体1500円