アポリア5号


 発行日:1997年5月30日
 発行:絵本・児童文学研究センター第1研究部
 発行者:工藤左千夫
絵本・児童文学研究センター10年の歩みI
 ― 創世期の思い出 ―
 絵本・児童文学研究センター所長 
 工藤左千夫
 
 本センターの開設(開所式)は、平成元年の4月8日である。暖房設備のない部屋は、その日の寒さを防ぐにはお粗末すぎた。寒さが体に凍み込む。それでも、十数名の参集を得たことで、暖かな雰囲気が本センター3階の部屋には満ちていた。とにかく開所の式(飲み会)は開かれた。
 
 時の流れは一瞬である。
 
 過去を振返る余裕のないまま、数年が経過した。今、10周年(来期)を迎えるにあたり、この「一瞬」の意味を回顧(確認)したい、そのような衝動に私は駆られている。そのことはまた、今後の本センターを展望するうえで必要なことではないだろうか。よって、本センター機関誌『アポリア』の誌上にて「10年の歩み」の物語を立ちあげたい。

 昭和63年、小樽において「子どもの未来を考える会」(松田淳子代表・本センター1期生)が発足した。本会の発足は、私がある幼稚園において講演の依頼を受けたことに遡る。その講演会の後日談が会発足の誘因となった。一幼稚園の枠を超えた本会の展開こそ、本センター発足の起爆剤になったことは確かである。
 
 当時、私は札幌・小樽(書店主催)・倶知安・苫小牧の4ヵ所において、10回以上の児童文化講座を引受けていた。
 
 各地での講座・講演会の依頼は、とても有り難いことであったし、己れの探求を実践する重要な「場」であるとも考えていた。しかし、私にはある種のストレスが増殖していた。その因については、ふたつのことが挙げられる。ひとつは、当時、依頼が多かった単発の講演会である。講演会とは講演の時間制限がある。また、各地で話す内容もほとんど一定。確かに講演技術なるものは、その経験の増によってついてくる。しかし、講演のレトリックは身につくにしても、内容の掘り下げは次第に低下する。自ら、質的な掘り下げを行なう気力が起こらない。
 
 次の因は、各地での継続講座においても、それを継続すればするほど2つの課題が生じてきたことである。
 
 (ア) 月に1度の講座のため、ある講座受講者が欠席したこと。また、私もそのための気遣いが多く生じて、講座時間の配分に苦労し続けた。
 
 (イ) 継続性のある講座とはいっても、講座のプログラムは、主催者の都合もあって10回ほどが限界であり、単発の講演会と同じような矛盾が生じてきたこと。
 
 この想いは、10年前の悩みである。その悩みをどうにか是正したいと考え続けていた。私の心中には現在の本センターのような構想が芽生えていた。
 
 そのような時期に「子どもの未来を考える会」との出会いがあったのだ。その想いを皆さんに語ってみると、多くの方々の賛同を得た。が、実際に本センターをオープンするまでには多くの困難がつきまとう。その内容を羅列すれば次のようになる。継続的に使用できる場所の確保(他者や時間に拘束されない場所)、女性中心の会員構成が予想されるため、常勤の女性事務職が必要であること。また、施設維持に要する会費の設定やその徴収方法、机やコピーなどの機材、そしてそれらを得るための資金の手当て、家族への説得など、とにかく課題が山積していた。

 しかし、手弁当で協力をし続けてくれた、現1期生の多くのメンバー。私は、終生、忘れることはない。例えば、1期生で唯一の男性会員であるK氏は、就労の合間であっても、機材搬入時の労力を惜しまず提供してくれた。また、薄給(当時は給与も「雀の涙」)のために、本センターの仕事の傍ら、2年間も書店でアルバイトをしつつ事務管理を一手に引受けてくれた1期のMさん。年配でありながら、若輩の講座を1期生として受講し、メンバーのよき相談相手になっていただいたUさんやEさん。YさんやSさん(共に現内勤者)などの協力も大であった。本センターの運営費を捻出するためのバザーの協力……、とにかく数えあげたらきりがない。
 
 開所当時の貧しさは、今でも語り種である。しかし、その労苦を越えようとするパワーは十分にあった。私もよく明け方まで講座の資料作成に励んだものである。もっとも、宴会の方もよく明け方まで続いた。皆で将来の夢を語り、時にはギターとの合唱と、まるで古代のキャバレー文化(現代のキャバレーとは意味が異なる)が、今、再生したかの様相であった。
 
 (追記)
 河合隼雄先生が初めてセンターに足を運ばれたのは7年前のことである。先生曰く「ここは、1年1年と創り上げてきた感じがするね……。」感謝。
 

「情報と文化」
 ― 情報センター構想 ―
 
 絵本・児童文学研究センター
 情報準備室室長 
 水口 忠
 
 新聞・雑誌、そして店頭に並べられている書籍にも、〃情報〃という言葉が、まるで流行語のように氾濫している。そのような状況下において、来たるべき21世紀は、政治・経済は勿論のこと、教育・文化などのすべてが、これまで以上に国際化と情報化がすすめられていくのではないだろうか。
 
 先日、クリントン大統領は一般教書において「12歳には、みんながインターネットに接続できなければならない」2000年までに、国内すべての学級と図書館がインターネットにつながるようにする」との記事を見た。このような考え方は、世界中の国々がマルチメデア時代を想定し、そのための施策を取り組もうとしていることが、その背景にあるのではないだろうか。
 
 ただ、このような動向については、疑問もあり議論の余地もあるが、ここでふれる余裕はない。しかし、科学技術の進歩と相まって、情報化社会が急速な勢いで進むことは否定できない。
 
 ここで「情報と文化」について考える。
 
 これまで人類が何十万年にわたり築いてきた、文化に関するすべての情報を、国内のみならず世界的な規模で誰もが必要な情報を、共有の財産として利用できるようになるのが情報化社会であろう。

 絵本・児童文学研究センターも、かねてからの研究成果を含むセンター情報を、適宜、印刷物などで提供してきた。ここ数年来、会員個々が求める情報を的確に、より迅速に、提供してほしいとの要望がだされていた。
 
 そのような会員の意向をもとに、平成8年度理事会において「情報センター」(仮称)の開設が決議された。現在、このような経緯をふまえ、大学・図書館・企業などで、情報化に取り組んでいる方々により、情報センター(情報室)の構想について検討されている。
 
 なお国立国会図書館においても2001年には「国際こども図書館」の開設を予定していることから、本センターの計画に注目し、すでに2度にわたって担当者が本センターを訪れている。
 
 今後、本センターでは、他の類縁機関である大阪国際児童文学館・都立日比谷図書館児童資料室などとの協力関係を検討しながら、慎重に計画をすすめていきたい。
 
 
 本センター情報室とは
 
 本センターの情報室は、現在、2000年の開設を目指して次の準備に取り組んでいます。
 
 1.情報準備室の開設

 (1). 昨年から、本センター第1出版部の協力で、情報室開設にむけて、どのような情報が必要であるのかなどの意見収集のため、本センター正会員にアンケートを依頼。
 
 (2) .本年4月より、本センター情報準備室(室長)の専従として副会長の水口忠氏が就任。
 
 (3) .本年6月の、定例理事会において、情報室の審議会委員の認可(これにかんしては、昨年5月の定例理事会において、会長・理事長に一任)を経て、実質審議の開始。
 
 (4) 全国の類縁機関の情況を鑑み、児童文学の全国における大賞情報の収集を本年中に行なう。
 
    (4)の情報収集の際に送付するアンケート用紙作成の準備。(返送されたものが、容易にソフト化される用紙)
 
 (5) (4)(5)の作業が順調に推移した状況において、全国の児童文化関係の催事情報を同様な方法で収集する。
 
 (6) 本センター情報を来期中にインターネットにのせる。
 
 (7) その他
 

シリーズ
 私を語る T
 
「五歳の頃から…」
版画家手島圭三郎
 
 私は小学校入学当時「行くのがいやだ」と云ってよく泣いた。しかしいくら泣いても兄姉の力で連れていかれる運命だった。私の上には長兄6年生、姉4年、次兄3年がいた。昭和16年、太平洋戦争の始まる年である。私は4、5歳頃から飛行機や軍艦の絵や写真を見て、それをかなり正確に模写ができた。寝る時は枕元に明日描こうと思う写真や絵はがきをおきそれをみながら寝た。紙を切り抜いたり木を削ったりする工作も好きだった。ナイフで自分の手を切って血を流すこともあった。常に物を創る事に熱中しそれに満足できた。創るのを中止して他人と遊びたい気持は少しも起きなかった。それが学校へ行きたくない理由だった。
 
 父は国鉄職員で転勤が多かった。それはすべて網走管内の農村漁村それ以下の淋しい土地だった。私のまわりにはいつも自然があった。エゾ松の山にすぐ入る事ができた。山の中は静かで、枝を渡る風の音と上空を白いい雲の流れるのを見た。海の見える土地では、冬の流氷が私の心の中に空想する力を育ててくれた。それは鉛色の暗い水平線の空だった。

 学校では絵が描けることが唯一の私の精神の支えであり、将来は画家になることが目標だった。それには少しの迷いもなかった。しかし安直で幼稚とも思える目的意識は、当然学生時代におおきな抵抗をうけた。自分のまわりには街で育ち、すでに本格的な美術の世界に足を踏み入れている連中もいた。指導する側の評価も高かった。そんな時、自分の遅れを痛感し劣等感を持ったが、それでも心のどこかに救いを見い出していた。「いつも集まって芸術論に熱中している人間は、果たして画家に向いているのだろうか」、と見ていたからだった。
 
 学校を卒業して20年間、中学校の教師をしながら制作した。木版画の世界を見い出し、北海道の自然と動物を主題とした。それは自分の足元を見つめることであり、少年時代の体験が根底にある世界だった。画家になるという目標を失なわなかったので勤務は苦にならなかった。年々目標実現へ近づく実感がはげみであり喜びだった。20年経って独立する日が来た。校長が妻に「退職後の生活に不安は無いか」と聞いた。妻は「夫が有名になりお金が沢山入ってくるようになるから少しも不安は無い」と答えた。「エライ奥さんだな」、校長は半ばあきれ顔で私に云った。そのエライは「エライ大きなことを云う女」の意味が込められていた。
 
 独立して20年が過ぎた。妻の思うほど有名にもならず大金も入らなかったが、さして不自由のない生活だった。その間絵本の世界に足を踏み入れていた。木版画であり北海道の自然と動物のテーマがあったからだと思う。62歳になったが、学校へ行きたくないと泣いた気持ちは変わらず終日アトリエにいる。そして飛行機作りに熱中している時もある。そこには5歳の時から少しも変わらない自分を見る。
 
プロフィール
 
 1935年北海道紋別市生まれ。
 版画家・日本版画協会会員。
 
 絵本には、北の厳しい自然の中でくりひろげられる動物たちの愛と感動を描いた北の森シリーズ、四宅ヤエさんの語り、藤村久和さんの再話で描いたカムイユーカラシリーズ、北の厳しく美しく幻想的な大自然の移り変わりを描いた幻想シリーズがある。
 これら13作品は、日本の他にアメリカ、フランス、オランダ等で翻訳され出版されている。
 
 1982年『しまふくろうのみずうみ』日本絵本賞受賞
 1985年『カムイチカプ』厚生大臣賞受賞
 1986年『きたきつねのゆめ』イタリアポローニャ国際児童図書展グラフイック賞受賞
 1986年『きたきつねのゆめ』ニューヨークタイムス選世界の絵本ベストテンに選ばれる
 1988年『おおはくちょうのそら』ニューヨークタイムス選世界の絵本ベストテンに選ばれる
 
 本センター主催「児童文学ファンタジー大賞」正賞、版画『冬の空』の製作者
 
 本年8月中旬〜9月末日まで、本センターにおいて、手島先生の版画(7点)を取り扱います。
 
 連載
 「書物と人の女性史I」
 ― メアリ・ウルストンクラフトと『女性の権利の擁護』 ―
 
小樽商科大学教授・付属図書館長
絵本・児童文学研究センター理事
倉田 稔
 
 世界で初めて、体系的に女性論を書き、書物として出版した人は、メアリ・ウルストンクラフト(MaryWollstonecraft,1759-1797)であった。その書は『女性の権利の擁護(AVindicationoftheRightsofWomen.1792初版)である。日本では、初め清水書院で次に未来社から翻訳が出ている。原本は、世界の名著を集めてあるEveryman'sLibraryで手に入る。
 
 彼女は、イギリス生まれのイギリス人である。そして文筆で生活ができた世界史上初めての女性でもある。
 
 メアリ・ウルストンクラフトは、父親が暴君だった。兄弟姉妹は多く、若い時から、自活をし、家庭教師をしたり、小さな学校を開いた。その後、ロンドンの出版社に勤め、『人権論』を出版して、著作家としてデビューした。テームズ川で2度も失恋自殺をしようとしたこともある。

 1792年に、彼女は、名著『女性の権利の擁護』を公刊し、世界的思想家になった。また彼女は、フランスにいた時、ちょうどフランス大革命の現場を見たこともある。後に、ウィリアム・ゴッドウィン(WilliamGodwin、1756-1836)と結婚し、娘が生まれるとともに30歳台の若さでこの世を去った。彼女は多くの立派な著作を残したし、「婦人解放の開祖」と呼ばれる。
 
 夫・ゴッドウィンは、無政府主義思想の始祖と言われる進歩的思想家であった。ウルストンクラフトとの間に生まれた娘、同じくメアリーは、詩人のシェリー(1792-1822)と結婚し、『フランケンシュタイン怪奇物語』著者となった。母娘とも、大変美しい人であった。
 
 メアリ・ウルストンクラフトは、主著『女性の権利の擁護』の中で、どのように女性は社会・家庭の中でみじめな状態にあるか、どうして女性は一人前の人間として扱われないのか、そしてその女性の精神・心理状態と生活を描き、結論を、教育に求める。彼女は、女性が男性と対等の教育を受け、人間として立派になることを、女性に求める。ウルストンクラフトは、男性を敵視しないし、女性がその持ち場をしっかり守ることは重要だとする。そして働く女性を応援する。現在の女性は、人間としても十分力がないから、低く見られる。だから人間として力を持ち、男性からも高く評価されれば、女性は人間として男性と対等になる、そのために、しっかりした人間としての教育が大切だと、結論する。彼女は、教育改革による女性の地位向上を主張した。
 
 この書は、18世紀の本であるから、女性に選挙権や人権がまだ認められていなかった時代の作品である。そのため、彼女の議論に限界はある。だが、彼女は、女性の人権を認め、主張し、すでに参政権を要求している。
 
 メアリ・ウルストンクラフトのこの書は、次回紹介するジョン・スチュアート・ミルの有名な女性論「女性の従属」に先立つこと1世紀であるが、ほとんどミルと同じ思想水準にある。それだけ彼女の思想、あるいはこの本は、すぐれているのである。また日本ではミルの本の方が有名だが、それに加えて、本書は、きわめて面白い本である。
 
 女性解放、女性問題を学ぶには、まずウルストンクラフトの書から読み始めるとよいだろう。その後、彼女について学びたい人は、日本語では、北野大吉『婦人解放の開祖。メアリ・ウルストンクラフト』、ゴドウィン『メアリ・ウルストンクラフトの思い出』、トマリン『メアリ・ウルストンクラフトの生と死』がある。
 
 

 BOOK GUIDE
 
 池澤夏樹著
 『南の島のティオ』
 
北海道武蔵女子短期大学教授
絵本・児童文学研究センター評議員
中澤 千磨夫
 
 年少の頃、この世に一枚しかない自分だけの地図を描いて悦に入り、想像の翼を羽ばたかせたことはないだろうか。池澤夏樹も、そんな少年だったに違いない。ただ、池澤がここいらの少年と異なるのは、かような嗜好を大人になっても持ち続けていることだろう。こういえばすぐに、あの「読んでも読んでも終わらない」美しい大作『マシアス・ギリの失脚』を思い出す人もいよう。『マシアス・ギリ』と同じく、この作品もまた、地図に導かれて始まる。珊瑚礁に囲まれた南の島で繰り広げられる10の連作短篇に案内してくれる、語り手「ぼく」の名はティオ。ホテルの一人息子だ。
 
 ある日、ティオのホテルにピップという不思議な絵はがき屋がやって来る。1枚1ドル、500枚単位でオリジナル絵はがきを作製しないかというのだ。とはいっても、ホテルで売っている絵はがきは25セント、仕入れ値はその半分以下。なぜそんなに高いかというと、受け取った人が必ず来るというのだ。父はこの「魔法」を信用しないが、ティオの口添えで注文する。しかも、ティオは100枚で契約を成立させてしまう。いきなり500ドルでは勇気がいると。はてなんと、絵はがきの「魔法」は本当だった。次々にやって来た客は皆、心から満足して帰っていったのだ。追加注文をしようとしたが、ピップは行方不明だった。冒頭でこの絵はがきに魅せられてしまえば、もうぼくらは、ティオの語るファンタジーの虜となる。

 ピップとの交渉で見せたティオの手腕は、大人びたこざかしさといったものでは、もちろんない。天の世界へ連れて行かれそうになったアコちゃんを救うため、カマイ婆の仲介で、天の者と理屈で談判した時、ティオは一瞬、アコちゃんは天の世界へ行った方が幸福なのではないかと迷う。もちろん、ティオはすぐに迷いを振り切って、アコちゃんの救出に成功するのだが、見逃せないのは、ティオが筋道に従って思考しうる少年だということだ。絵はがきの時もそうだったのだ。台風でククルイリック島から避難して来たエミリオが、マングローヴの気根を編んで「ウケ」(バナナ型の籠)を作り、ティオと2人で海へ行き、魚を沢山獲った時もそうだ。エミリオがくれたのは、たったの2匹。「公平な分配だとぼくは思った。ぼくは後からついていっただけで、実際には何もしなかったのだから」。ちょっと間違えばさかしらなのだけれども、一歩退がってあれこれ考えるティオの魅力が、この作品の核を成している。物語の一部である「あとがき、あるいはティオの挨拶」で、ティオは、イケザワさんに島の面白い話を聞かせた経緯に続けて、「本の中のぼくは本物のぼくよりもずっと大人でしっかりしているみたい」と照れてはいるが。
 
 エミリオが手製のカヌーでたった一人、600キロも離れたククルイリック島へ帰っていくところで物語はは閉じられる。エミリオの命運はどうだったのだろう。ピップにだってもう一度会ってみたい。イケザワさんは忙しいから、ぼくらがティオに続きを聞きに行ったっていいかも知れない。
 
 (1997.5.5)
 文春文庫・本体 437円
 
 
鼓動
 
事業部
 
 総務部
 ・第9期受講・通信会員入会準備(5月)
 ・96年度決算書、97年度予算原案作成
 ・本年度会報の発行
 ・その他
 
第1事業部
 ・大賞1次選考委研修会開催(3月29日)
 ・大賞1次選考、2次選考、無事、終了
 ・大賞3次選考会準備開始(7月中旬)
 ・その他
 
第2事業部
・3月末、『すてきな絵本にであえたら』・(3〜4歳)刊行
・『本とすてきにであえたら』・(3〜4年生)刊行準備
・その他
 
第3事業部
第8回バザー準備(7月5日…土)。
今回は本センター情報室開設のための資金と大賞への賛助金として考えおります。宜しくご協力ください。
・秋期において、手島圭三郎先生の版画をスポットで扱います。お待ちください。
・その他
 
第1出版部
・情報室開設への協力
・本センターのオリジナル出版の企画作成
・その他
 
第2出版部
・本センターの10周年(来期)記念誌発行にむけての企画
・本年度会報発行への協力
・その他
 
財務部
・新規の賛助法人/団体/個人会員の拡大
・新規事業(情報室開設)への協力
・その他
 
 研究部

第1研究部
・『アポリア』次号の発刊準備
・本年度会報発行への協力
・その他
 
第2研究部
・「絵本の会」では、本年度から『絵本論』(瀬田貞二 福音館)を例会において扱います。ご参加ください。
・本年度(97年5月―98年4月)正会員ゼミの内容決定!
 
 97年(敬称略)
 5月『裏庭』中澤千磨夫
 6月『昔話と日本人の心』1 工藤左千夫
 7月『昔話と日本人の心』2 工藤左千夫
 8月『昔話と日本人の心』3 工藤左千夫
 ★9月「箱庭にみる子どもの心」河合隼雄
 10月『昔話と日本人の心』4 工藤左千夫
 11月『昔話と日本人の心』5 工藤左千夫
 12月『昔話と日本人の心』6 工藤左千夫
 
 98年(敬称略)
 ★1月「未定」 神沢利子
 2月『昔話と日本人の心』7 工藤左千夫
 3月『昔話と日本人の心』8 工藤左千夫
 4月『昔話と日本人の心』9 工藤左千夫
 
 第3研究部
 ・新刊研究の例会(通常月1回)の継続
 ・『本の道案内』次号発刊の準備
 ・その他
 
 図書部
 ・「ビデオライブラリー」聞始(5月より、原則として正会員を対象)
 ・その他
 
 情報準備室
 ・全国の児童文化関係の大賞情報を収集
 ・アンケートサンプルの作成
 ・その他