アポリア2号


発行日:1996年8月22日
発行:絵本・児童文学研究センター第1研究部
発行者:工藤左千夫
再録
鶴見俊輔氏との出会い
臨床心理学者・本センター顧問
河合隼雄


 京都にいながら、私は鶴見俊輔さんにお会いする機会が長い間なかった。というよりは私の方でいささか敬遠していたところがある。これには理由が二つあって、まずあまり頭 のいい人は私は敬遠しがちである。私のしている仕事は頭などほとんど使わないようなことが多く、どうも頭のいい人とは話が合いにくいのである。次に、鶴見さんを私は「正義の味方」であると誤解していたのである。正義の人はまったく尊敬すべきだと思うが、オ モシロイ人が少なく、私はオモシロイ人に会うのは好きだが、尊敬すべき人は敬して遠ざけがちになるのである。
 
 1978年頃だったと思うが、マンガについての評論を、鶴見俊輔、多田道太郎両氏と一緒にやらないか、というのを、ある編集者からすすめられたことがある。私はすぐにお 断りした。まず、マンガというものを私はほとんど見ないし、それに前述のように鶴見さんに対する誤解もあったためである。
 ところが、編集者はマンガのことはともかくとして、鶴見・多田両氏が某所で飲まれるので一緒に行きませんかと誘うのである。マンガはともかく有名な2人の人が飲んでどん な話をするのか観察するのも一興だろうと思って行くことにした。

 お会いしてすぐに私は鶴見俊輔という人を勝手に誤解していたことを悟った。何よりもその目の輝きが素晴らしかったが、その輝きは頭とも正義とも無関係であることがすぐわ かった。確かに頭がいい人であることには違いなかったが、頭のいい人で、頭の悪い人や弱い人の気持ちがこれほどわかる人は、まずないだろうと思われた。

 ところで、マンガである。鶴見さんは別に私に対してマンガが面白いから読んでみろ、と言われたわけでもないし、一緒に評論をやってみませんかとすすめられたわけでもない。 多田さんという話相手に対して、自分の読んだマンガの面白さを語られる。それはまったく作品のなかにはいりこんでいる人の語り口であり、私も思わず引き込まれてしまった。 特に感激したのは、いろいろなマンガの台詞を覚えておられて、身ぶり手ぶりをまじえて熱演される。「どうです、大したもんでしょう」と例の目を輝かして言われると、こちらも乗ってしまって、それはいかなる文学作品よりもすばらしいような気になってくるのである。

 シェークスピアやゲーテの言葉を暗記している学者は沢山いるし、飲んで雑談しているときでも引用してみせるような偉い人もいる。しかし、ここまでマンガの名台詞を暗誦してみせる人はあまりないのではなかろうか。

 その夜はマンガ以外のこともつぎつぎと出てきて、まったく楽しいときを過ごすことができた。そして別れ際になって、誰に頼まれたわけでもないのに、私は、「私も少しマン ガを読んでみましょう」などと口走ってしまった。そうすると、鶴見さんは、「あなたが面白がるようなのを、見計らってお送りしますよ」と言われた。

 別れてしまってから、鶴見さんというのは天性のアジテーターである、と思った。鶴見さんは一般の人の言う「アジル」などということは、まったくされなかった。ただただ、 自分にとって興味のあることを話しておられた。ところが、鶴見さんの心のなかの動きが、知らぬ間に私の心のなかの動きを誘発してしまうのである。別にマンガを読んでみませんかなどと言われてもいないのに、自分の方から自発的に「マンガを読んでみましよう」などと言ってしまうのである。おそらく、鶴見さんに別にすすめられたのでもなく、アジら れたのでもないのに、あの目の輝きを見ているだけで、沢山の人が自発的に何かをやり出したくなったりすることは、多くあるのではなかろうか。

 ところで、暫くすると鶴見さんの「見計らい」によるマンガが送られてきた。なれない私にとっては、はじめは読破するのが容易ではなく、続き具合が不明になったり、主人公 と同じ顔をした人物が多く登場してきて混乱したり、メモでもつくりながら読もうかと思うくらいであったが、読んでみて驚いてしまった。それは単に面白いということをこえて、 これまでこんな世界を描いたのは、文学作品にもおそらくなかったのではないか、と言いたいほどのものであった。

 竹宮恵子、萩尾望都、大島弓子の3人の作品がとりわけ素晴らしかった。心理療法家として私がほとんど理解をこえると思わされていた少女の内界が実に見事に描かれているのである。これはまことにショックだったし、これらの作品群を「見計らい」で送って来ら れた鶴見さんの慧眼にも感服してしまった。その後に送られてくる作品も私の興味をひくものが多く、おかげで柄にもなく、鶴見・多田両氏に伍して、私もマンガについて少しも のを書かせていただくことになってしまったのである。

 以後、幸にも私は鶴見さんと対談などで仕事を共にさせていただくことが多く、いつも、その「ホンモノ」と「二セモノ」を見抜く眼力に敬服させられている。いつか桑原武夫先生に鶴見さんがいかに素晴らしいかを話すと、いかにも当然というように、「ああ、鶴見 は天才でっせ」と言われる。そこで、先生は天才と秀才をどうして見分けられますかとお尋ねすると、「天才は面自いと思ったら自分に不利なことでも平気で喋る」、「秀才は自分が損するようなことは上手に隠す」とのことであった。

 大学入試の新テストやらの間題に、鶴見さんの文が出て、「ここで作者は自分の不利なことを平気で書いている」、「その部分はどこか」、「それは何を意味するか」などというの が出たりすると、大学入試も少しは「改革」されるかなと思ったりしている。
『鶴見俊輔集』 月報1991年10月筑摩書房
『書物との対話』潮出版社


プロフィール
鶴見俊輔(つるみしゅんすけ)
1913年生まれ。
哲学者。
京都市在住。
ハーバード大学哲学科卒。
46年丸山真男らと雑誌『思想の科学』を創刊した。
京都大学助教授、東京工業大学助教授を経て70年より著述業に。
著書
『限界芸術』(勁草書房)、『戦時期日本の精神史』『戦後日本の大衆文化史』(以上岩波書店)、『鶴見俊輔集』全12巻(筑摩書房)、『鶴見俊輔座談』全10巻(晶文社)刊行中な ど多数。

寄稿
著作との対話
―私の鶴見俊輔―
本センター常務理事 岡田吉史

 ここ数年来、鶴見俊輔の著作との対話が続いている。今から2・30年前に書かれたものを現在読んでも、何ら古さを感じない。逆に現在だからこそ、彼の思想の持続性が、生き生きとした相貌を表す。今から十数年前、学生だった私は、季節はずれの学生運動に熱中していた。熱中すればするほど、「私」ではなく「我々 」に固執し「こうせねばならない」という義務感に縛られていた。それこそ「眦を決して」時代と闘っている気分に浸ることで、アイデンティティを確保しようとしていたのであろう。

 そんな当時の私からは「私」に徹底的にこだわり、人間の曖昧さの中に思想の根を見いだそうとする鶴見は近付きたくない存在だった。たぶん表面だけの「決意主義」の底にあ る弱さに気付きつつ、それが白日の下に曝け出されるのを怖れたのであろう。
 鶴見は言う。「活字に書かれた原則を受け入れるようではありたくない。自分の舌とか、ペンとかだけではなく、不随意筋の動きを考えに入れた哲学でありたい。」と。

 そこには、人間の持つ弱さを含めた上で「私」に拘る者の強さを感じる。今、私はその強さに憧れるし、そうありたいと願う。

 「読まず嫌い」を決め込んでいた私の回心は、どこから来たのだろうか。生まれ故郷に帰ってきてサラリーマン生活を長く続けているうちに、昔の自分がだんだん、鶴見がよく 言う「回顧の次元」に収まってきているのにふと気付いた。まさに生活の流動化のただ中に投げ出され、今にも溺れそうになっている自分をそこに見出した。そう思った時、私は 鶴見の本が無性に読みたくなった。

 鶴見は、歴史の見方として、「回顧の次元」と「期待の次元」を区別しなければならないと言う。「回顧の次元」とは、現在から過去を振返り、既に評価が定まったものとして、 歴史を見る見方であり、一方「期待の次元」とはその時々の流れからどうなっていくのか、こういう選択もあり、また一方別の選択もあるこちらを選んだらどうなったか、何故ここで間違ったのかというように、失敗した出来事の中に、将来の芽を見出だす歴史の見方である。
 
 「人はどんな場面でも、ああも生きれる、こうも生きれるという可能性の幅の中で揺れ動いている。だからこそ、自由を感じることができる。」
 
 冒頭、私は鶴見の著作との対話が続いている、と書いた。鶴見の思想に触れることは、傑出したイデオローグと対する仕方とは逆方向にある。その言葉たちを与えられたものと して、金科玉条にするのではなく、まさに対話しつつ、立ち止まる。そして考え、また対話する。その繰返しの中に、一つの生き方が形作られていく。なにか素敵な感じがする。
 
 「生きてゆくということは、論理の上では何の意味付けをも必要としない。しかし、実際には、人はそれぞれの仕方で自分の生きてゆくことについての納得を持っている。その納得の仕方を思想ということとする。」


緒言
「近代化」と児童文化
絵本・児童文学研究センター 
 所長 工藤左千夫

 児童文化の幅と深さには、常識を越えたものがある。このような至極簡単な事実に気付いたのは20年以上も前のことであった。当時、欧州の児童文化(特に絵本・児童文学)に興味があり、関連の書物を繙いていた時期であったと思う。奥手といえば奥手なのだが、このことは私のみの責任とは言い難い。いずれにせよ、わが国の児童文化史を西洋のそれと対比して真摯にみつめれば、そのことの了解はつく。

 明治維新以降、わが国では近代化が開始されるわけだが、そのビジョンなるものの仕入先は、欧米のみであった。当然、教育のシステムや児童文化もそのような状況の影響下にあったことは、自明であり、初期の児童書の出版物の殆どが「翻訳」から出発したことでもその一端は窺える。

 残念なことは、日本の近代化が急ぎに急いでなされたように児童文化も急いだことだ。このことは、質的なレベルの低下、すなわち「児童」という観点の軽視を意味するとともに、わが国の児童文化の成長に影を落とした一つの因ともいえる。
 
 当時の欧州の文化がすべてよいとは限らない。しかし、児童観(子どもとは何か?)ヘの間いかけという緊張感を、近代以降、常に持続させてきたことの功績は大きい。そして、このことが欧州における近代の工−トスの形成に連なってくる。例えば、グリムがそうである。欧州の児童文化が意識的に形成されるきっかけの一つは、当時のナポレオン戦争に遡る。その時期は、欧州各国のナショナリズムの勃興という「疾風怒涛」の黎明期に相当し、グリム兄弟を中心としたドイツ民俗学(フォルクス・クンデ)の幕開けの「時」でもあった。
 
 当時の民俗学理論は単純にみえるが、奥は深い。内容は、人間の精神的な文化を3層の構造で把握したものである。学術用語としては「基層文化論」といわれている。
 
 それは、@上層文化(新しい時代の先駆け的なものを考える、発見していく人々)A中間層文化(新しいものうみだすことはできないが、新しいものを常時、享受する人々、一般大衆)とB下層(基層)文化である。
 
 この下層(基層)文化の存在が欧州における児童文化理論(児童観)の一翼を担っていく。それは、日常に意識化されることなく沈澱している文化で、世代を超えた民族の魂と なりうるものとしての位置付けを占めていく。
 
 初期のドイツ民俗学のポイントはこの基層文化にあった。(後年、ヒットラーは、@のみを利用した。)
 
 この人間の心の基層を新たに表現した形態として、グリムは民話の再録に行き着いた。「大人―子ども」の枠を越えた基層的な文化、それが児童文化の重要な観点となり、以後の欧州では一般化されていく。明治期にグリムは邦訳される。しかし、彼らの提出した観点は無視された。所詮、子どもの本は……で、道徳的や教訓的な意味をもつものものが子どもの本であるとの風潮は、いまでも頑なに続いている。



 オピニオン
 困惑の正体
 ― 文学賞のボーダー ―
 財団法人 北海道文学館事業課長 
 平原 一良

 「現代日本の文学賞の全貌がわかる」と帯の背に謳って10年ほど以前に発行された『文学賞事典』(目外アソシエーツ)を見ると、目次の項目は557もあって、明治からこのかた、この国にはこんなにも多くの文学賞が生まれては消えていったのかと、思わず息を呑む。この『事典』が出た時点では、小樽発の伊藤整文学賞も児童文学ファンタジー大賞も創設されてはいなかった。その後、おそらくこの10年余の間に新たに誕生した文学賞を加えるならば、明治期いらい設けられたこの国の文学賞は600を超えたのではないかとも予想されるが、どうだろう。だいたい、文学賞をネタにした大部の事典が商品として流通するというこの国の文化状況自体が「異様」なものとして、私の目には映る。

 この『事典』の頁を繰っていくと、わずか1回で、あるいはせいぜい2〜3回で消滅してしまった文学賞も少なくないことに気がつく。「パッと咲いてパッと散るぐらいなら、無理することはなかったのに」と嗤うことも可能だ。眉間に皺をよせて、「一つの文学賞創設の実現から消滅にいたる過程で、賞をめぐるドラマティックな人間模様が展開されたであろうことのほうが、ずっと興味深い」とのもっともらしいひとくさりも可能である。そのとおりだ、と私も後者のように思う。一つの文学賞の誕生にかかわる多様な「物語」の展開は確かに興味深い。下世話に言えば、厖大な人的エネルギーとカネとがかかりもする。その大変さは、外野のフェンス近く(ここはまさしくボーダーでもある)で児童文学ファンタジー大賞にかかわっている程度ではあっても、この2年の小樽の人々の様子をうかがっていれば納得、なのだ。

 ファンタジー大賞の着実な歩みを願うこととは別に、最近私の内部には確実にある種の困惑が頭をもたげるようになってもいる。高橋源一郎ふうに言えば、「文学がこんなに盛んになっていいかしら」ということになろうか。「盛んに……」というのが、あくまで見かけ上の現象であって、内実を考えればもう四半世紀ほども以前から「文学の死滅」が語られ、この国に限ってみても「純文学」概念は陳腐的変質が加速度的に進んできた事実をどのように考えているのか、あたかもその特権的価値が未来永劫不変であるかのように「文学」を熱い口調で語る人びとに、つい薄気味悪い「信仰」を見てしまうわが内面の屈折……。狂熱的な愛郷心を吐露して悼らない人にグッタリと疲れを覚えてしまう場合の困惑と、それは似ている。

 ともかくも、文学が芸術諸ジャンルの王(?)の座を滑り落ちて久しいとばいえ、まだ当分は生き延びる余地は残されている。活字メディアヘの信仰が根を張っているこの国では、書物という器が今後形態的な変化をたどることはあるにしても、文学を志す人びとは確実に現れるであろうし、文学書は発行されつづけ、文学者も存在しつづけることであろうから、批評も批評家も、たぶん学会も研究者も必要とされることだろう。当然ながら、文学賞も……。「小説から遠く離れて」しまいたい思いに誘われながら、私もまた死ぬまで「文学作品」とつきあうことになるのだろうか。そら恐ろしいことだ。
 
 ところで、「文学賞が1000を超える日はあるか」――愚にもつかない問いを発してみる。答えを用意しようとすることは、おそらく無益なことだろう。しかし、私は、先の伊藤整文学賞授賞式の日、会場でかの柄谷行人の中上健次についての生マジメな回想を聴いているさなか、そんな問いを眩きたい思いに誘われた。柄谷行人を「見る」つもりで訪れ、それが実現できたうえ、中上健次について彼が訥々と語るのを聞いて、さらには、懇親二次会場の寿司屋に向かう道すがら言葉を交わすことまでできて、ミーハー心理は十分みたされた(バカだねえ)。文学賞も悪くはない。悪くはないどころか、これは功徳であるとすら言えそうだ。がしかし、あの東京からツアーで来樽していた女性が主体の一団は何者だろう、前年の受賞者・津島佑子や、今年のもう一人の受賞者・松山巌の関係者ではなさそうだ。とすれば、二枚目の柄谷行人の親衛隊か?いいなあ、もしそうであるならば……。 いや、それは邪推というものだろう。にしても、容易には近奇りがたいバリアが張りめぐらされている(ここにもボーダーがある)ように感じられたのは、帰道8年にして芽生えつつある一種の中央コンプレクスなのであるか。選考委員の黒井千次さん、僕は渋谷の喫茶店であなたがひとりでフラリと入ってきて、やがて鞄から取り出した本をしばし読み耽っている姿を、見るともなしに見いっていたものです、と挨拶を交わした際に、お伝えすべきだったのかもしれません。
 
 表舞台に登場する華やかな人びとを遠目にしながら、文学賞のボーダーについて考えてみる。児童文学ファンタジー大賞にも、ボーダーが幾層かにわたって存在する。いや、大賞の存在そのものが社会的・文化的ボーダーを形成してしまうと言うべきかもしれぬ。そのボーダーの質をとっくり見極めようと努めながら、私はいましばらく小樽に通うことになる。
(1996.7.19)


BOOK GUIDE
大江健三郎・河合隼雄・谷川俊太郎 著
『日本語と日本人の心』
北海道武蔵女子短期大学助教授
中澤 千磨夫

 私たち一人ひとりが、様々なパートを受けもって成功させた「児童文学ファンタジー大賞創設記念第2回文化セミナー。日本語と日本人の心」(1995.11.26、小樽市民会館)。その記録が本書。こうして形になってみると、やはり大きな仕事であったな、と思う。内側で働いていた分、当日は気づきにくかったものが、活字を通すと客観的に見えてくる。
 
 このセミナーに参加した余市町の盛昭史さんから、しばらく経って、かなり長文の感想をいただいた。午前の講演「日本語と日本人の心」で河合隼雄は「不立文字」と板書して、近代主義の限界を越える可能性として「離言真如」を評価した。その際、かつて禅を称揚した川端康成のノーベル賞受賞講演「美しい日本の私」と、そのパロディーである大江健三郎の同賞受賞講演「あいまいな日本の私」に、ともども言及した。いうまでもなく、大江は川端に否と突きつけたわけで、これは河合の相当な挑発であると。しかるに大江は、「ディーセントなヒューモアをたっぷり利かせて漫談を始めてしまい(略)小樽の聴衆がナメられたという印象が残った」(盛)というのだ。
 
 盛の手紙は、おそらくかなりの核心を衝いている。ただ、小樽だろうとどこだろうと、大江はあのように対応するはずだというのが、私の判断ではある。あえていえば、それが大江の政治性というものだ。まあ、この点については、いずれ盛自身が別のところに書くだろう。ただ、河合がどこまで底意を持って発言していたかには、興味を覚える。「私がいま大江さんのことについて言ったのがまちがっていたら、あとで訂正してほしい」という言葉は、とりようによっては、やはり大変な「挑発」とうつるからだ。
 
 そればかりではない。シンポジウム「日本語と創造性」では、大江を軸に3人の言語観の相違が際立つ。和気あいあいと進められているようでいて、内実はかなり緊追しているのだ。日本語の固有性というか、それこそあいまいさを評価しようという河合・谷川に対し、大江は普遍的な世界性の獲得を目指している。谷川俊太郎は、語りおろされた「日本語を生きること」でも、「詩的なものへの欲求」に触れ、大江との違いをはっきりさせている。思えば大江は、「奇妙な仕事」の時代から、意識的にさわりのある文体を構築し、伝統的な日本語文脈を破壊しようと試みてきた。皮肉なことに、それが日本語の新しい可能性を開いたのだ。詳しくは、鷲田小彌太・栞原丈和と私の共著『大江健三郎とは誰か』(三一新書)を参照してほしい。
 
 楽屋話めいて恐縮だが、先日、岩波書店営業部のWさんに酒席で、こんなことを聞いた。本書刊行後、大江がかなり大幅に手を入れたいといってきて、しばらく第2刷がストップしたというのだ。その間注文は次々入るし、営業はかなりあわてたそうだ。結局入朱は締めたとのことだが、直したかったのは、ヨーロッパで戦争が終わったのは1944年というような細かなミスばかりではあるまい。気になる。
 
 付けくわえておきたいのは、都合でシンポジウムを欠席した佐野洋子の影の大きさだ。谷川は「無意識をお持ちになっていない大江さんとしては、夫婦げんかなんかはどういうふうにおやりになるのでしょうか(笑)」という。もちろん冗談なのだが、かなりどきりとさせられる。夫婦げんかはしない、怒ると自分の中に閉じこもってしまい、一ヵ月も黙っていたことがあるという大江の応えもふるっている。おいおい、それを夫婦げんかというんだよ(笑)。この問題に河合も大江も乗ってこなかったのが、谷川は不満だったそうだ。仮定の話だが、佐野が参加していれば、シンポはかなり色あいの違ったものとなったばずだ。なに3人で難しい話をしているのよ、というような光景を想像させるほど、その存在感は重い。この本のスリリングな魅力は、やがて時間とともに染みだしてくるだろう。
(1996.7.14)(岩波書店・1,800円)


事業部・研究部のお知らせ
第1事業部
第2回大賞候補作出揃う!

 7月22日(月)午後3時より、本センターにおいて、第2回児童文学ファンタジー大賞の3次選考が行なわれた。選考委員は、工藤左千夫(委員長)、中澤千磨夫、平原一良、立花峰夫、我孫子晴美の5氏。

 応募作品173点のうちから1・2次選考を突破した作品は次の8点。
「乱の行方」「赤い大陸」「鬼の木」
「なるかみ」「幻の里のキクちやん」
「鶴の天衣」「けやき森の物語」
「図書室の魔女」

 各委員が4作品を推薦し、逐次、作品を評価。センター各部を代表する9名の立会人が見守る中で、一時間以上に渡り熱のこもった審議が繰り広げられ、次の5作品が大賞候補作として、最終選考会へ送られることになった。
仁木れい子「赤い大陸」
伊藤恭子「なるかみ」
勝谷明子「鶴の天衣」
樋口千重子「幻の里のキクちやん」
西浦知恵子「けやき森の物語」
最終選考会は、9月29日の予定。

第2事業部
 読書手引書(続)の刊行目前に迫る

 第2事業部で刊行している読書手引書は本の紹介だけではなく、子どもの成長過程を平易に解説しているので、子どもを持つ親ばかりでなく幅広い層の方々に好評。9月中には、読書手引書の第3巻『すてきな絵本にであえたらA』(3歳〜4歳)が発行される予定。
 今回の手引書では、母子分離期に生じるイメージの萌芽や体験の拡大という特徴を子どもの発達に合わせて解説し、それに適した本の紹介をしている。巻末の「Q&A」では、3歳〜4歳児の親たちに特徴的にあらわれる質間や疑問に答えている。
 「当初は、適切な表現に苦労したが、自分の学んできた講座を生かして解答がてきるようになってきた。表現・内容面でも会員自体が成長してきている。解答する場合は、子どもの本当の発達はどうであるべきか、ということを念頭に置いておこなっている。」、との篠尾部長の言葉どおり、解答部分は数回に及ぶ部会の中で練り直されたもの。
 手引書はA5伴60〜70頁。頒価500円。購入希望者は本センター受付まて。

第3事業部
 第8回バザー目標達成!

 7月6日、本センターにおいて、第3事業部主催の第8回バザーが開催された。例年通り、洋服やぺ−パーウェイト、手作りの印判などの展示品を楽しみにして足を運ぶ常連も多い。
 こうした展示即売品の他に、今回はドライフラワーが数多く加わり、「回を重ねるごとに、即売品の質・量が充実してきました。これも提供して下さる皆様のおかげです。」と、第3事業部長の久保敬子さんは語っていた。さらに今回は、神沢利子さん手製の「ローソク・草木染めのハンカチ」、梨木香歩さんの「絵はがき」が登場。目玉だけにオークション、抽選という形をとったが、両作品とも人気の高さが窺えた。
 バザーの収益は、公益事業の費用に充当されることになる。久保部長は「文化運動を続けるためには、他者に極力依存せず、自分たちの力で、出来うるかぎり公益事業の費用を負担していこうとする意識が必要です。バザーはあくまでも公益事業を支援するものですが、自分たちで運営しようとする意識を高めることによって、文化運動が、徐々に自立の方向に……。」と述べていた。総収益は約57万円。

第2研究部
 「絵本の会」順調に発進!

◎第1回例会
 5月11日(土)、午後2時より本センターにおいて初めての例会が開催された。松田淳子第2研究部長の挨拶後、部員より第1回目の作者アーノルド・ローペルの紹介、続いて『ふたりはいっしょ』の作品から読み聞かせが始まり、6作品を予定時間間際まで行なわれ、作品の特徴などを含めた、多くの事柄が話題になった。  
 例えば、裏表紙に表記されている、読書の対象年齢には疑問の声が多かったこと、1冊の作品の中に多くの短編が載録されすぎているのでは、との意見も多くだされた。

◎第2回例会
 6月15日(土)、本センター3階にて午後2時。林明子の『びゅんびゅんこまがまわったら』など9作品。林の『こんとあき』の作品が最も気にいっているとの対談集も披露。
 出版年毎に、作品を繙いていくと、特に編集者の趣向による表現方法のちがいなどが興味深い。林は次のことを述べている。「今までは、大切に育てられていた少女を描いてきたが、これからは野性っぽい元気な子どもを描きたい」。
 次回は、8月31日(土)レオ・レオニをテーマに行なわれる。