アポリア1号


発行日:1996年5月14日
発行:絵本・児童文学研究センター第1研究部
発行者:工藤左千夫
緒言「アポリア」発刊にあたって
「情報過多の時代」と哲学
絵本・児童文学研究センター所長 工籐左千夫

 現代の情報媒体は無尽蔵となりつつある。
 このことは人間の知的生産の可能性を拡げ、その進展によって情報選択の自由を現代人は得たようにみえる。
 情報選択の自由の拡大は、確かに、情報不足からの予断・偏見という否定的現象への対抗手段としては重要な意義を有した。
 しかし「二つよいことさてないものよ」ではないが、情報洪水のなかで、個々人が無制限にそれを吸収できるわけではない。むしろ、情報過多による弊害がかなり以前から深刻な問題として私たちの前に立ちはだかりつつある。

 そのような現象にたいして、私たちが取り組むべき課題は複雑多岐にわたっている。様々である。

 本誌名『アポリア』は「困難に直面した状態」というのが一般的な意味である。語源は概念の一つであった。

 本誌は別に哲学論争の誌ではない。

 アポリア現象は、哲学史のみに限らず、いつの時代にも、また個々人の日常生活過程においても、生じてきたことである。

 情報過多もアポリアの一形態である。例えば、児童関係図書を考えると、すでに10万点以上の書籍が出版しているのが現状だが、それらを一個人がすべて読破し評価を加える ことなど不可能に近い。

 ではどうすればよいのだろうか。

 新たな図書に出会ったおり、情報過多に翻弄されている人々は、粗筋的読みを読書と錯覚していわゆる速読法に走る。しかし、それでは十分な内容の吟味もできずに、理解を得 られないことはいうまでもない。

 情報過多の時代にあっては、読書に限らず、あらゆる領域で個々人の価値観や認識のスタイルが問われだす。しかし、そこを問われだすと、現代の教育システムの枠に縛られて生きてきた世代は無力感を味わうことになる。

 そこで「哲学とは何か」との問いが、この時代の新たな課題となる。この問いは新しいものではないが、このところ急速に浮上してきた課題でもある。哲学史をふり返ってみる と、哲学が今日までの抱えてきた課題は次の3つである。

 1)個別性 2)特殊性 3)普遍性

 この3つのポイントをどのように認識していくか、またその認識過程において人間の価値なるものを考察し提起することが重大なテーマなのであった。
 「情報過多の時代」とは、先の3つのポイントの関係に狂いが生じた時代である。このことについて考察することは、別に哲学だけの課題ではない。子どもから大人へと成長・ 変化していく人間の発達過程においても必然的に直面する精神活動の一つでもある。

 最近、常識を越えた現象が出版界において起きている。『ソフィーの世界』ブームがそれである。当初、この本の刊行に際しては、出版社の上層部からは猛反対が出たそうである。確かにいわゆる哲学書の刊行が、出版社の採算ベースにのったケースは希少である。 ところが売れたのである。100万部を突破したのである。児童書を思い浮べるならば、『モモ』に匹敵するであろう。

 今、情報に振り回されてきた自分の存在形態への不安に根ざす「わたし」のとらえ返しが、児童文化への探求のスタイルを借りて始動してきたように思える。

 オピニオン

 越境者の言葉

 ― 児童文学のボーダー ―

 北海道武蔵女子短期大学助教授中澤千磨夫

 『海燕』1995年10月号は、「〈ボーダーレス〉という言葉の虚と実――文学のボーダーを検証する――」という特集を組み、エッセイ9本と対談1本を掲載している。この企画の立案者の意図は、そのタイトルや、特集巻頭の西部邁「世界は むしろボーダーフルである」によく現れている。たしかに、飯島洋一「ボーダーレスに内在するボーダー」がいうように、「ボーダーレス社会」などというのは、「ひどくいやら しい響きの言葉」かもしれないし、なによりうさくさい。ボーダーレスと片付ければ、一件落着したように見えるから、便利な言葉ではある。だが、ボーダーレスという以上、そもそもボーダーをきちんと認識していなければならないはずなのだ。

 とはいうものの、あらゆるところで、ボーダーレス化というか、越境現象が出来しているのも、まぎれのない事実だ。文学(実のところ、この言葉は嫌いだが、適当ないいかえに苦労するので、つい使ってしまう。嫌いなのは、制度的権力臭がつきまとうからだ)シ ーンにおいても、もはや純文学/大衆文学などという二項対立を信じているオメデタイご仁は、化石ものであろう。沼野充義「ジャンルの問題? ボーダーレス時代の文学に向けて」も指摘するように、純文学/大衆文学などというのも、発表雑誌という制度に支えられた幻想であった。夢野久作でも谷崎潤一郎でも、あるいは宮澤賢治でもよい。文壇から自由だった作家の1人2人を数えてみれば、そんなことは、すぐに分かる。芥川賞/直木賞 という分類にしたところで、もはや何ほどの意味もない。というより、そもそもこの区分け自体、やはり幻想だったのだといってよい。梅崎春生が「ボロ家の春秋」で直木賞を受賞した時(1954年下半期)、本人も周囲もとまどったというのは、今からみれば、か なりほほえましいエピソードである。

 と、このようにいってしまっても、現在流通しているテキスト自体、あるいは、読み手の意識から見た場合、一向に問題はなかろう。特に、読者が、これは純文学だからとか、そうじやないからとかいう意識を持っていそうもないことは、明らかだ。ところが、書き手の場合はどうだ。久間十義との対談「書いてみなければわからない、未知の領域への感受性」で、渡部直己は面白いことをいっている。純文学とエンターテイメントの相違を支えているのは、後者の側のルサンチマンだというのだ。紹介されている、『文学界』に林真理子が初めて書いた時の意気込みも笑え、この指摘はうなづける。

 ルサンチマンやコンプレックスは、執筆エネルギーの偉大な源でもあるが、右のような事情は、児童文学の場合にもあてはまらないか。かねて不思議に思っていたのであるが、児童文学者とか童話作家という呼称あるいは自称は、誇りを示すものなのだろうか。それとも、屈折した心理の露呈であろうか。おそらく、そのどちらでもあるのだろうが、なぜ、作家とだけいって済ませられないのか。

 たしかに、児童文学には特殊性がある。それは、明快だ。主たる読み手として子どもを想定していること。だが、それは子どものみを対象としているということではないはずだ。子どもともども大人に向けて開かれているということ。これが、児童文学の最大の強みだ。それにもかかわらず、児童文学の環境が閉塞して見えるのは、所詮子ども向けという意識が、書き手や読み手のどこかにあるからだろう。さらにいえは、子どもということにつきまとう教育の問題。情操を育むとか、いじめられないためにとか 。文学に功利性を求めるナンセンスについては、いう必要もあるまい。

 そのような閉塞感を打破しうるものがあるとすれば、それはまず、批評の活性化だろう。内輪の言葉ならぬ秀れた批評が、全体を底上げするのだ。その意味で、たとえば、河合隼雄という越境者の存在は大きい。河合のようなエイリアンが陸続 と現れ、その言葉が当たり前のものとして受け入れ
られれば、児童文学は、もっともっと豊かになるだろう。批評の言葉が平準化した時、少なくとも読み手にとって、児童文学というボーダーは意味を失おう。

 (1996・4・4)


 
 スポット

 滞米レポート

 ル・グインの肉声を聴いた!

 5期正会員 鎌田千代子

 渡米(ポートランド)後、約8力月の土曜日。新聞の日曜日版を購入すると、ル・グインが新しい本の紹介を兼ね、「読み聞かせ」をするとの記事を見つけました。

 2月21日午後7時半。席は満席状態(本屋の中の棚と棚の間にパイプいすを並べた小規模な場所)。立ち見の人もかなりいます。

 ル・グインは予定より十分ほど遅れて登場。

 少し低めの声で、幾分早日でジョーク混。

 作家が自らの本の朗読をし、それを開くことは、私にとって初めての体験です。作家の感情や心のリズムが、そのまま伝わってくる気分に浸れるので、たとえ話が良くわからなくても、満足。それにル・グインの朗読は、とても上手でした。

 講演後の質疑応答は、およそ、次のようでした(私は日本人でシャイですから、手をあげることが出来ません)。

 Q 子供の本を書くようになった理由は?

 A 知り合いの出版社から、ヤングアダルト向けに何か書かないかと依頼された。しかし、私には子どもの本は書けないとお断わりしたが、結局、書いてしまった。それが、 『ゲド戦記』。

 子どもの本を書くのは非常に難しい。子どもの本の創作は、ある意味で、詩の創作に似ている。言葉の一つ一つがとても大切で、そして言葉の一つ一つを然るべ き場所に納めていかなくてはならない(ぴったりとした表現をさがさなくてはならない)。そこには遊びや余裕がない。

 Q 『ゲド戦記4』については児童文学という範囲を越えていると思いますが、児童虐待や性の問題も描かれていますね。

 A この第4巻目を出すのには、すごく時間がかかりました。3巻目を書いた後、テナーのこと、つまりテナーの成長を書きたいとずっと思っていました 。この4巻目に関しては児童文学というものにとらわれずに、書きたいことを書きました。

 Q 本を書く時には、テーマを決めてから書き出すのですか?

 A まず、イメージや風景が浮かんできて、その後に、書きたいことが浮かび上がってきます。頭だけではなく、ここで(ハートを指さして)書くのです。つまり心が「書きたい、書きたい」と呼びかけてくる。児童虐待や性のことも、心の底から書きたいと思っ た。

 Q いつもの創作活動は1日何時間ぐらい?

 A 最長でも4時間が限度、仕事は朝型。質間コーナーの後、サイン会があるのは、どこの国でもかわりません。ル・グインは、一人一人に話かけ、時間をかけてサインをしてくれました。待つこと15分、こんなに ドキドキしたことは久しぶりです。(1部省略)



 BOOK GUIDE

 梨木香歩著『西の魔女が死んだ』を読む

 北海道武蔵女子短期大学助教授

 中澤千磨夫

 ごく短い期間に、飛躍的な成長を遂げることがある。特に、若年期に、多くの場合、大切な人との出会いと別れを伴いながら。

 中学校に入ったばかりのまいは、クラスの人間関係に嫌気がさし、「学校に行くことを考えただけで息が詰まりそう」になる。ママは、学校を休ませ、田舎のおばあちやんの家で、しばらくゆっくりさせることにする。まいは、これはエスケープだと思う。

 まいの祖母は、イギリス人。日本人の夫を亡くし、今は独りぐらし。このおばあちゃん、なんと魔女だという。まいは、「黒い服を着て、箒に乗ったりする魔法使い」を連想するが、祖母のいう魔女とは、「身体を癒す草木に対する知識や、荒々しい自然と共存する知恵。予想される困難をかわしたり、耐え抜く力」を有する者で、 彼女の祖母(つまり、まいの曾々祖母)は、予知能力、透視能力に際立っていたという。だから、おばあちやんが魔女だというのも、魔女狩りだとか、魔女裁判だとかの忌まわし いイメージを伴うものではない。それはそれでよいのだが、「魔女」という言葉の持つ強烈なインパクトからして、今ひとつあきたらない気のすることも、否めない。

 隔世遺伝的に魔女の血が流れているかもしれないと自覚したまいに、おばあちやんは、魔女修業を課す。それはまず、精神をきたえることだという。たとえば、まいの大好きな マグ・カップを思い描いてみろと、おばあちやんはいう。ところが、まいには、その細部をうまく再現できない。どんなものでもよいから、自分で見ようと決めたものを見ること ができるように訓練を重ねること。「いちばん大事なことは自分で見ようとしたり、聞こうとする意志の力ですよ」と、おばあちゃんは教える。そして、なにより大切なことは、 自分で決めることだと。裏山に、まいのお気に入りの「場所」も決めて、草花を植えた。

 ある日、おばあちやんの飼っている鶏が無残に食い殺されていた。野犬かいたちのしわざか。動揺するまいに、おばあちやんは、「無視するんです。上等の魔女は外からの刺激 には決して動揺しません」と諭す。そういえば、魔女はピンで刺されても痛くないというとどうなるのかと聞いてみる。死んだことがないから分からないといいながら、おばあち ゃんは、「死ぬ、ということはずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になること」だと、自分の考えを述べる。身体を持つのは、苦しむためなのかというまいの疑 問に、おばあちゃんは、「魂は身体をもつことによってしか物事を体験できないし、体験によってしか、魂は成長できない」、それが「魂の本質」だという。「十分に生きるために、 死ぬ練習をしている」のだとも。そして、自分が死んだら、まいを怖がらせない方法で知らせてやると。まいは、鶏殺しを、色々と世話をしてくれているゲンジの所の犬とにらみ、 おばあちやんに話すが、妄想に取りつかれると自滅するとたしなめられる。

 まいの魔女修業は1月ほどで終わる。単身赴任をしているパパが、転校して、ママと3人でくらそうといってきたのだ。転校は根本的な解決にはならないというまいに、「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めた からといって、後ろめたく思う必要はありませんよ」と、おばあちゃんはアドバイスする。そう、魔女は自分で決めなければならない。おばあちやんの元を去る日が迫り、「あの 場所」で、まいは一面に咲く美しい銀色の花を見つける。銀龍草といって、おじいちゃんの大好きな花だったという。

 あれから2年。新しい学校で、まいには親しい友だちもできた。おばあちやんが倒れたという知らせで、ママとおばあちゃんの家に向かう途中、まいは、お気に入りの「あの場所」のことさえ忘れていた自分を、後ろめたく思う。西の魔女が 死んだ。おばあちゃんに手向けてくれと、ゲンジが銀龍草を持ってきた。足元には、まいが丹精し、ヒメワスレナグサと呼んでいた雑草が見事に咲きほこっている。銀龍草を供え て、あの懐かしいヒメワスレナグサにも水をやろうと、台所ドアの所に戻ると、その汚れたガラスに、「ニシノマジョカラヒガシノマジョヘ/オバアチャンノタマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ 」となぞった文字が読めた。

 私たちが生かされているということ。あの鶏も、ゲンジも銀龍草もヒメワスレナグサも、そして、おばあちゃんも、みんなみんな糸でつながっているということ。あの短い夏の日、 西の魔女が、東の魔女に伝えてくれたことだったのだ。もう、まいにエスケープはいらない。

 (『北海道警友』1995・11月号より転載)

 この作品は、1955年度の児童文学者協会新人賞、新美南吉児童文学賞、小学館文学賞をトリプル受賞。また、近作「裏庭」は、第1回児童文学ファンタジー大賞を受賞した。(小学館1200円)




 '96事業部のお知らせ

 第1事業部 
第2回児童文学ファンタジー大賞 1次、2次選考研修会開催

  3月18日、本センター3Fにて、午前と夜間の2回に分け、第1事業部主催による1・2次選考研修会が行なわれた。工藤所長から、選考日程、選考方法などの概要説明を受け た後、出席者に選考委員委嘱状が交付。その後、研修会講師の中澤千磨夫氏(3次・最終選考委員)と平原一良氏(3次選考委員)による選考のボイントにかんしての講義が行な われた。

 概要は次の通り。

 ・選考のポイント

 中澤千磨夫氏

 『久美紗織の新人賞の獲り方おしえます』『もう一度だけ新人賞の獲り方おしえます』(久美紗織 徳間書店)の2冊のマニュアル本を参考に、応募者が1次選考通過のための心得と、選考者として押さえておくべき事柄が講義の骨格。

 選考者は、選ばれる側の心理の壁を理解するとともに、選ぶ側としてのプライドを持つことが重要と述べた。さらに、「選ぶ」ことは、選者の「主観」の有様が間われるので、「嫌 いだけれどもいい作品かもしれない」との認識が必要。自分の好き嫌いが、他の選者をも納得させられるだけの客観性を獲、はじめて「主観」とよべると力説。この「主観」を鍛 えるのは、何よりも各自の教養のバックグラウンドが必要と語った。

 ・大賞のポイント

 平原一良氏

 第1回大賞選考(3次、最終選考)時には、どのような作品が、選から漏れたかを具体的に説明。

 例えば、文章そのものが読み手の胸にすんなりと受け入れられない作品、日本語としての約束事から全く逸脱した我流ではオリジナルとは言えないこと、さらに、タイトルが全 くダメな作品、安易な理想主義に流れてしまった作品など。

 そして、判断基準として次の5点を挙げた。

 1.全体の文章、文体はどうか。

 2.梗概の文章と、そのまとまりについて

 3.書き出しはどうか。

 4.ストーリーとプロットのバランス。

 5.ファンタジーの意味を正確にとらえているか。

 最後に、どんな作品であれ、選者は作者への敬意を込めて向かい合うことが最も大切との論旨で終了。

 コメント

 いよいよ第2回児童文学ファンタジー大賞の選考がスタートします。これより6力月後の9月下旬には大賞の発表が待っています。センターには、統々と応募作品が寄せられており、今回はどんな作品が大賞を射止めるのかしらと心が 踊ります。選考委員の皆さん、緊張の中にも、生まれたての作品を大いに楽しませて載きながら、勉強させてもらいましよう。両先生、貴重なお話をありがとうございました。


 第2事業部

 読書手引書の続編刊行!

 第2事業部では、文化事業の一つとして、年齢に応じた「良書」の選択方法などを紹介する読書手引書の発行を行ってきた。

 昨年3月には、第1巻『すてきな絵本にであえたら1』(0〜3歳)が刊行され、次編の刊行も待ち望まれていたが、読書手引書の第2巻目『本とすてきにであえたら1−どんなお話あるのかな−』(小学校1〜2年生)が4月20日に刊行 された。

 今回の手引書では、情操(喜怒哀楽)の活性と成長を中心の課題とした。

 本書は、この時期の子どもの特徴を踏まえながら、情操の意義とその成長のプロセスについて解説し、子どもたちに読んでもらいたい本や読み聞かせに適した本を多数紹介して いる。

 巻末のQ&Aでは、この時期の子どもたちの読書における素朴な疑問に具体的に答えている。母親や小学校低学年の教育に携わっている方々には、参考になる。

 「現在の情報の洪水から、良質な本を選ぶ一つの手段としてこの手引書を利用して欲しい」と、本書を刊行した第2事業部の関係者は述べている。

 手引書はA5判60〜70頁程度。頒価500円。購入希望者は本センター受付まで。


 '96研究部のお知らせ

 第1研究部

 第1研究部では、正・受講会員を対象に、会報「アポリア」に掲載する論文を募集します。採用された方には、記念品を進呈いたします。

 あなたの探求心を文章で表現してみませんか。

 【募集要項】

 主催絵本・児童文学研究センター第1研究部

 対象

 正会員、受講・通信会員

 テーマ

 『銀の馬車』を読む※『銀の馬車』C・アドラー(金の星社)

 原稿 1200字程度 
 ※ワープロ可

 注意 (1)採用原稿の掲載の際には、加除訂正のなされることがあります。

 (2)応募時には氏名・住所・電話番号を添付して下さい。

 締切り 平成8年8月末

 発表 会報「アポリア」にて発表

 応募先 本センター第1研究部


 第2研究部

 正会員ゼミ年度スケジュール発表

 第2研究部は、平成8年度の正会員ゼミのスケジュールを発表した。

 5月からのテキストは8回にわたつて『ソフィーの世界』(ヨースタイン・ゴルーアル著)を使用することになった。この本には副題として「哲学者からの不思議な手紙」とあ るが、本ゼミでは初めて哲学について研究することになる。

 その他のゼミとしては、平原一良氏の「がっかりさせられる文章表現」が7月に予定。9月の定例「河合隼雄ゼミ」は、先生の著書『物語とふしぎ』(岩波書店)。『ソフィーの世界』終了後の年明けには、中澤千磨夫氏の『裏庭』(梨末香歩 理論社1第1回児童文学ファンタジー大賞受賞作)と第3研究部のゼミが予定されている。

 本年度の正会員ゼミの特徴は、咋年までの心理学的要素に、哲学的課題を加えたことにある。

 正会員ゼミの開講が今から楽しみだ。

 尚、各テキストはセンターにて賑売する。

 平成8年度正会員ゼミスケジュール

 5月『ソフィーの世界』工藤左千夫

 6月『ソフイーの世界』工藤左千夫

 7月『がっかりさせられる文章表現』平原一良

 8月『ソフィーの世界』工藤左千夫

 9月『物語と不思議』河合隼雄

 10月『ソフィーの世界』工藤左千夫

 11月『ソフィーの世界』工藤左千夫

 12月『ソフィーの世界』工藤左千夫

 1月『ソフィーの世界』工藤左千夫

 2月『ソフィーの世界』工藤左千夫

 3月『裏庭』中澤千磨夫

 4月末定 第3研究部

 編集後記

 言葉とは不思議なものです。音にひかれて選んだ「アポリア」。これがまた意味が深い。100号めざして頑張ります。(淡路)

 いつか、何かが、素敵に花開くことを楽しみに参加させて戴きます。読んでくださる方々の心に少しでも留まるものがあればと願っています。(小池)

 新しい門出の4月、私も「アポリア」編集員として進級させてもらえました。こんな新鮮な気持ちは久々で、はりきっています。(松田)

 昨年度の仕事内容を反省しつつ、これからの新しい会報では、色々な情報・課題を提供できるよう心掛けていきます。(山崎)

 パステルカラーが目につく季節になり、私の心の中もその色でいっぱい。幸せ感じながら、一緒に手をつなぎましょう。(渡辺)