ドーンDAWN6号


発行日:1998年11月15日
第4回児童文学ファンタジー大賞応募・選考経過

 大 賞 該当作品なし
 佳 作 該当作品なし 
(新設)
 奨励賞「あかねさす入り日の国の物語」奥村敏明
「鍵の秘密」古市卓也
 
 第4回児童文学ファンタジー大賞の公募は、1997年10月から1998年3月31日までの期間で行なわれた。(第5回は1999年3月31日まで)
 応募総数189点。 
 1次選考において30点が通過、2次選考では6点、3次選考会においては次の3点が大賞候補作となり、最終選考委員に送付された。
 奥村敏明「あかねさす入り日の国の物語」 
 古市卓也「鍵の秘密」
 二木れい子「夢の庭」
 
 最終選考委員会は河合隼雄(委員長)、今江祥智、阪田寛夫、脇明子、中澤千磨夫、工藤左千夫の6名によって構成され、1998年9月13日、小樽にて開催された。
 選考会は、大賞・佳作推薦の作品の有無から始まり、結果としては大賞・佳作とも該当作品無しということで、全選考委員の意見が一致した。しかし、新たに奨励賞を設けてはどうかの議論があった。その理由は次の通りである。

 1 第2回までを通して、大賞2作、佳作2作が選出されており、その水準がある程度確定していること。そのため、それをクリアすることは容易ではないが、新人の意欲を喚起するために、新たな賞の創設が検討されたこと。

 2 ファンタジーの性質上、その裾野をどこまで広げるかは今後の課題であること。
 

 以上の理由により大賞運営委員会(委員長 水口忠)では、こうした選考委員会を意向を受け奨励賞の新設を決定した。
 (追記)
 第1回児童文学ファンタジー大賞 
 大賞 『裏庭』梨木香歩(理論社より刊行)
 佳作 『タートル・ストーリー』 
 樋口千重子(理論社より刊行)
 第2回児童文学ファンタジー大賞 
 大賞 該当作品なし 
 佳作 「なるかみ」伊藤 遊 
 第3回児童文学ファンタジー大賞 
 大賞 『鬼の橋』伊藤遊 (福音館書店より本年10月に刊行) 
古市卓也(ふるいちたくや)
37歳 神戸市在住
略歴
1961年 神戸市生まれ
1988年 甲南大学卒業
体に障害があるため、就職もま
まならず無為の日々を送ってい
る。今まで創作歴なし。

「鍵の秘密」
400字詰原稿用紙換算枚数・600枚
受賞コメント
 不思議なことが起きる、おもしろい話を作ってみたい。そう思ったのが、今回応募した作品のそもそもの始まりでした。準備もしなければ、これといった計画も立てずに書き出したのは、そんなふうにしてあらかじめ物語を手なずけておくべきだということを知らなかったからです。結果は、あてもなく進んでいく物語に、ただもう引きずられるばかり。ですから、書いているあいだはずっと不安でした。登場人物はみな身勝手なところがあって信用できないし、物語そのものも、まとまるつもりがあるのかないのか、最後まではっきりしなかったからです。それでもなんとか締め切りまでに組み伏せ、紐で十文字に縛って郵便局に引き渡したのですが、ほっとしたのもつかの間、今度はまた別の不安が頭をもたげてきたのです。――だけど、あれって、ファンタジーだったんだろうか?
 これまでにぼくが出会った名作とされるファンタジーには、(解説書などを読んで初めて気づくことも多かったのですが)みなその中心となる不思議な出来事や不思議な世界に、ちゃんと意味や理由がありました。たとえば作者の哲学や信仰に裏打ちされていたり、書かれた時代や状況を反映していたり、あるいは登場人物の心理状態を象徴していたり。そして、たいてい物語の最後には、主人公はいやされ、成長しているのです。きっと、そこまで読みすすんだ子どもたちの心もいやされ、成長するのでしょう。もし、そういうものがファンタジーなのだとしたら――つまり、空想の部分にも、ちやんと現実の世界に根ざす意味や、現実の間題に働きかける機能が求められるのなら――ぼくの書いた物語は、ファンタジーとは別の代物だということになります。ただのお話。ただの思いつき。でたらめ。
現実逃避。糸の切れたたこ。
 しかし、よくよく考えて思い当たったのは、ぼくはやっぱりそういうものを書きたいのだということでした。扉の向こうにひろがるのは、それだけで完全に独立して存在するもう一つの世界、もうひとつの現実であってほしかったのです。でなければ、何かの魔法を介してこちらの世界とぶつかったとき、カチンという確かな音がしたり、火花が飛んだりしなくなりますから。主人公や読者の子どもたちは、誘われるのではなくて巻きこまれ、導かれるのではなくて迷い、成長したりいやされたりに気づくのは後にして、まずは生きて帰ってくるのです。
 今度、あの文章も構成もつたない作品に奨励賞を下さるのは、そういうただのお話もファンタジーの仲間として認めて下さったということでしょうか?だとしたら、こんなにうれしいことはありません。ぼんやり空想するだけしか能のないぼくのような人間にも、ファンタジーの世界に入るための通行手形を出していただけたということですから。

奥村 敏明
39歳 名古屋市在住
略歴
1983年 立命館大学文学部日本史卒業
1987年 障害者と働く場「わっぱの会入」
同年結婚
1997年 (有)フランスパン入社(パンの
製造業務)

「あかねさす入り日の国の物語」
400字詰原稿用紙換算枚数・600枚

受賞コメント
 『児童文学ファンタジー大賞』奨励賞をいただいて、とてもうれしく思っています。
 この物語を書き上げた経緯を話したいと思います。
 最近おもしろい本がないなと思っていた四年前のある日、それなら自分で書けばいいじゃないかとふと思いつきました。なによりも自分のために、自分が読みたい話を書こうと思ったのです。
 まず、物語の舞台を弥生時代の出雲にしようと決めました。弥生時代は日本の歴史ではじめて戦争がおこなわれた時代でした。稲作がはじまり、暮らしが豊かになるとともに、人々は争いをはじめたのです。国と国との争いに巻き込まれた少年少女たちの姿が、だんだんと浮かんできました。
 出雲へ旅行にも行きました。この出雲旅行はとても印象深い素敵な旅になりました。なによりも出雲の国の美しい風土を肌で感じられたことが、物語を作り上げていく上で、大きな原動力になりました。もちろん、ぼくが見た風景は千八百年前の風景とは違っているでしょう。けれど、はるかな山並みを眺め、大空を流れる雲を見上げ、タ陽をじっと見つめているうちに、ぼくなりの出雲の国のイメージが浮かびあがってきました。
 ぼくの中に生まれた美しい出雲の国の風景がこの物語の原点であり、すべてを包み込む背景となりました。そして、その舞台をたくさんの登場人物たちが縦横に動き始めたのです。
 書きたいだけ書いたら、原稿用紙千枚をこえる作品になりました。そして、一番目の読者であるぼくは、この物語がとても好きになりました。自分でつくりあげたとは思えないぐらいのできばえでした。できるならたくさんの人に、とくに若い人たちに読んでもらいたいと思いました。
 どこかの文学賞に応募しようと思い、そこではじめて河合隼雄さんが選考委員長をつと
める『児童文学ファンタジー大賞』の存在を知ったのです。
 ぼくが辛い日々を過ごしていた頃、河合さんの本によってずいぶん助けてもらいました。
 また、最近の児童文学への発言は興味深く読んでいます。河合さんがこの物語をどのように読み、評価してくださったのかをとても期待しています。

選後評〜

応募者は全国に 来年こそ大賞が出て欲しい
河合 隼雄

 今回は大賞・佳作ともに無く残念であった。しかし、新しく設けられた奨励賞受賞者が二人とも男性であり、これまで最終選考に残るのは女性ばかりだったことを考えると、日本のファンタジーの世界にも新しい動きが生じてきた感じがあって嬉しかった。
最終選考に残った三作とも共通に言えることは、長すぎることである。これは、何としてもこれを言いたいということが作者の心のなかにあって、それを中心に物語が構築されるのではなく、「お話」の方が先走りしてしまうからではないかと思われる。たとえて言えば、大黒柱抜きで家を建て、傾き出すと補強のためにつぎ足し、またどこかに傾くとつぎ足しをするという方法で、大きい家が建ったものの、強風がくると倒壊してしまう。という類の作品になっているのだ。小手先で話をつくりすぎるのである。作者はほんとうに何を言いたいのかが、こちらの胸に響いて来ない。それが今回、大賞も佳作も出せなかった大きい理由である。
「鍵の秘密」はなかなか惹きつける力を持っており、興味を持って読みすすむことができたが、前に述べたように作者が「お話」に酔ってしまって不必要に長くなってしまっている。話を面白くすることを第一義にしては駄目である。小学六年生の男の子の内面に広がる世界をいかに描くのか、それは小学生の問題でもあるが、大人の自分の問題でもある。それをもっと抱きしめて欲しい。それが第一義である。
「あかねさす入り日の国の物語」は、題名が長すぎるのが象徴的である。これも話が長すぎる。これは歴史物語的な構成で、そこに勢理比売の超能力によってファンタジー的な要素が入ってくるのだが、残念ながら、そのことによって、これを「ファンタジー」作品たらしめるほどの力を持っていない。話はよく考えられているが、盛り上がる力が弱いと感じられた。
二木れい子さんは毎回の応募で、よい線までくるのだが、賞に洩れて残念である。毎年の応募は素晴らしいと言えば言えるが、その反面、素材を抱いて待つ力に頼らずに、小手先に頼るからと言うこともできる。今回の作品で自分がほんとうに言いたいのは何かを考え、それを中心にして抱きしめていたら、この作品は四百枚以下のものになることだろう。次はいっそのこと、そんな試みもしてみてはどんなものだろう。
今回は沖縄からも応募があり、これで応募者は日本全国に広がったとのこと。来年こそ大賞に値するような作品が出てきて欲しいと願っている。

河合隼雄
選考委員長
現在国際日本文化研究センター所長・京都大学名誉教授・本センター顧問・臨床心理学者
世界的な臨床心理学者として著名であり、著書も多数。岩波書店より著作集全14巻。
豊富な臨床体験と東西文化の比較、ユング心理学等の深い洞察を通して独自の世界を構築
中。奈良市在住。
審査員選後評


この文学賞は、いま少し昔風であっても、まず、文学であって良いのではないか
今江祥智

 この文学賞の選者を、と言われて引き受けるのを躊躇った。公募のポスターを作るぎりぎりのところでもまだ気持ちが決められず、とうとう名前も入らずじまいだった。
それでも引き受けてしまったのは、やはり力のある新人の、嬉しくなるような作品と出会えるかもという期待からだった。「小さな童話大賞」でも「部落解放文学賞」でも「日教組文学賞」の小説部門でも、そうした出会いがあったからだった。
最終選考に残ったというのが送られてきて函を開けると、ずしんと重い原稿コピーが3点。各600枚という大作ばかり。本を読むのも長編を読むのも好きだが、六百枚もの作品となると、読む前に精神的深呼吸、みたいなことをしたくなる。気合というやつである。それでも外れ、というか、つまらないとやめればよい。しかし選考作読みだとそうはいかない。苦痛でも読み通さねばならない。それがいやで、実はずっと躊躇っていた。
 祈るような気持ちで読み始め、はなから躓いた。双子の亀が生まれるのを見ているマルクとレシスという兄弟、弟の方は何と銀色の髪と銀色の目をしている(「夢の庭」)。現実世界と背中合わせみたいにある(らしき)もう一つの世界の異人から来た手紙は日本語で書かれているし、主人公の昇が、もう一つの世界に行ったヴィトなる男に呼びかけるのも日本語なら返ってくる答も日本語というふしぎ(「鍵の秘密」)。そして二作共、登場人物の名前は、セルリーン、トウラ、ローザン、ウィルローン、アノンだとか、グラーズ、ニッツ、オーイン、フラーといった連中で、私は思わず(この書き手どのらは、いずれのお国の筆びとであられましょうや?)と呟いてしまった。おしまいの「あかねさす入り日の国の物語」は、一番想像力ありと見受けられるが、とにかく大仰な言い回しに美文調全開な中に、衝撃波、相互防衛条約、否定といった言葉がいきなり顔を出すといったあんばいだから、とにかく疲れた。それでも四日がかりで読む。
何よりも、何故これを書くのかといった作者内部の葛藤が見えず、いわばゲーム感覚、漫画感覚の映像みたいな展開なのである。それで、各六百枚。それでも二点を奨励賞に残したのは、構成力や仕掛けの工夫や登場人物の成長を物語る個所に見るべき点があったからで、そこのところは選考会の席上で具体的に詳しく申し上げた。
とにかくファンタジー児童大賞なのである。『裏庭』のようによく練られた構想の佳篇を第一回大賞にしているのである。ファンタジー文学のハードルをも少し高くあげ、古いと言われようと、はやりフィリッパ・ピアス、ポール・ギャリコ、ル=グゥインあたりの高さを目標にしてほしいとしみじみ思った。小谷真理さんの『ファンタジーの冒険』(ちくま新書)を一読しても分るが、妖精からTVゲームにまで拡大し、拡散したファンタジーの現在形につき合う気は、私にはない。この文学賞は、いま少し昔風であっても、まず、文学、であってよいのではないか。

今江祥智
児童文学者
・中学教員後、福音館書店など、多くの出版
社で編集者を経験。その後、聖母女学院短大
で教授として13年間児童文学を講ず。
現在は著作に専念。
主著『ぼんぼん』4部作(理論社)『今江祥
智の本』(全36巻理論社)他多数。
京都市在住

素人じいさんの感想
阪田寛夫

 最終選に残った三作を拝読して学んだことの第一は、書きはじめのむずかしさです。状況の設定と事態の展開を連動できた作品が、いかに読み手の負担を減らし、彼や彼女を作中の世界にとりこめるか、という点でした。
初歩的なことを言いだして相済みませんが、私は何十年も物書きを続けながら、毎度入り口のところで失敗しているものですから、そして読書下手の人間ですから、いきなり事件に巻きこまれる素材を選んだ『鍵の秘密』に、親しみを持たざるを得ませんでした。
学んだ第二点は、身につまされるというか、読み手の心に引っかかってくるものについての、自己検証です。うっかりそのまま作品評価の要素に組み入れると、逆にこちらが作品から審査されて「きみ落選」と宣告され兼ねませんが、読後の空想は愉快でした。
戦争中高天原史観の国史教科書を丸暗記させられてきた呆け老人の私は、『あかねさす入り日の国の物語』という題名を見ただけで(マイナーな翳を帯びた言葉であるにも拘らず)、身がすくみました。読みだすと、私が恐れたようなことはなく、いきなり竪穴の家とか、銅鐸、鹿の骨、環境といった考古学の術語が出てきて、そこだけはユーモラスでした。でも、術語に頼らないでも、入り日の国の日常が読者の内にある古代を照らし出せるまで、作者の内側でもあたため直して頂きたいと思いました。
ついでにシロートの浅薄な推察をつけ加えます。この物語は、原・出雲神話が、大和朝廷の高天原神話に征服されたという定説に挑んで、そんな単純に外から「征服」されたんじゃないよ、と言いたげでした。恐いものをつい呼び寄せたばっかりに、内側に取りこむ破目になってしまった、と説くために、作者は後半の枚数を費されたのではあるまいか、と。これだとかなり身につまされますね。
『夢の庭』は、本筋に入ったと感じるまでの時間が、一番長くかかりました。しかしタイトルから考えると、私が「前置き」と考えて読みなずんでいた牧歌的な記述の部分こそ、作者のファンタジーの核だったとも思われ、それでは読者として失格ではないかと申訳なく思いました。私は兄弟の王子が分かれて暮らすようになったあとで面白くなって、知らぬ間にページが進むのに驚いたほどでした。
『鍵の秘密』のこちらと、開いた扉のあちらの世界との格差には、神戸の震災を思い合わせました。打撃を受けて戦争中の穴倉ぐらしに舞い戻ったような阪神間の町に住む人が、電車が開通すると、ほんの十分か十五分乗った先の大阪に、これまで通り光と騒音に満ちた消費的な都会ぐらしが続いていて、驚き呆れて考えこんでしまったと言っておりました。

阪田寛夫
小説家・詩人・放送作家
・1975年『土の器』で72回芥川賞受賞。児童文学関係では、1974年『うたえばんばん』第4回日本童謡賞、1976年『さっちゃん』第6回同賞受賞。1980年『トラジイちゃんの冒険』で野間児童文芸賞同年『夕方の匂い』で第1回赤い靴児童文化大賞。
その他多くの作品がある。
東京都在住

創意と想像力と頭脳と知識とを総動員して作る物語なら書こうという努力が成果に
脇 明子

 ファンタジー作品ページを開くとき、私がまず第一に期待するのは、それが、リアリズムの言葉ではどうしてもとらえきれない独特な何か――湖底を泳ぐ魚の影のように、一瞬ふっと見えてもすぐまた消えてしまう何かの存在を、まざまざと感じさせてくれることだ。私がマクドナルドやデ・ラ・メアや宮澤賢治にことのほか執着しているのはそのためだが、そんな不思議なカを持った作品は、奇跡のように生まれてくるのであって、書こうと思って書けるものではないから、コンクールなどという場ではなかなか出会えなくても仕方がない。だが、創意と想像力と頭脳と知識とを総動員して作る物語なら、書こうという努力が成果に結びつきやすいし、読みものとしては一般にそのほうがずっとおもしろい。
それに、頭脳的に組み立てていった物語でも、想像力を全開にして細部を埋めていけば、おのずと不思講な魚の影が横切っていくこともある。ル=グウィンやマーヒーの傑作長編だって基本的にはそのように「作られた」作品なのだ。
 で、今回の3作品だが、まず『夢の庭』には、その意味で最も不満を感した。基本設定やエピソードが佐藤史生の漫画『夢みる感星』に似すぎているという問題は、それを足がかりとしてより創意豊に「作って」あるのなら、一応不問に付してもいい。だが、もとの漫画がなかなか鋭い人間理解を示し、驚きと納得の両立する展開で楽しませてくれたのと比べると、これは血が水になったように手応えの乏しい「作り物語」の域を出ない。早い話、きわめて聡明で理解者にも恵まれ主人公の少年が、なぜ王になる兄との待遇の差にこだわり続けなくてはならないのか、私にはさっぱり納得できなかった。
その点、「あかねさす……」はずっと血の通った物語になっていて、古代出雲の風景を思い浮かべながら読むことができた。が、そのおもしろさはあくまでも歴史物語としてのそれであって、主人公が超能力を使って戦いに勝つというだけでは、ファンタジーとは言えないと思う。それに、ほんの十二、三歳の少女が、王の娘だというだけで、なぜ戦いを一身に引き受けなくてはならないのか、そのあたりの動機づけがいかにも弱い。しかもその戦いは、破壊的超能力を駆使したものだ。児童文学だから破壊的であってはならないとは言わないが、少なくとも私はこういう問題解決は好きではない。
『鍵の秘密』は、別世界との往復のルールが厳密なぶん窮屈なのと、現代のふつうの小学生の日常が
窮屈なのとが重なって、前半はかなりしんどかった。また、別世界での冒険の課題が、いかにも型通りのお家騒動でしかないのも、大きな欠点である。しかし、勉強机の引出しを鍵で開けたら別世界の樹冠のなかで、枝がさやさやと揺れていたりするというのは、とても魅力的なファンタジーで、ほかにもいくつかあるそういうシーンを活かしながら、筋書きを大幅に改善することができたら、なかなか楽しいファンタジー作品に育つ可能性はおおいにある。

脇 明子
評論家・翻訳家
・現在、ノートルダム清心女子大学教授。大学で児童文化論を担当。
主著『幻想の論理−泉鏡花の世界』(沖積舎)
『ファンタジーの秘密』(沖積舎)
岡山市在住

王の物語にどれだけ現実味を持たすことができるか
中澤 千磨夫

 最終選考に残ったのは、なぜかいずれも王権をめぐる作品。
はたして今、王の物語にどれだけ深刻味・現実昧を持たすことができるのだろうか。
 奥村敏明「あかねさす入り日の国の物語」。まのびしたタイトルはいただけないが、弥生時代後期の出雲という歴史的枠組みの中で、自由に創造を試みている。左頬に疱瘡によるあばたを持つ勢理比売。いささかあざといものの、これが彼女のトラウマとなり、また王としてのスティグマともなるという展開にはうなずける。「わたしにはふつうの生き方はできない」と自覚することで、勢理は大人へと踏み出すのだ。リアル・ポリティックスや現実感覚を示しながら彼女を導く役割を負う卓素に入れ墨があるのは、自ら意図的に課したスティグマということで、勢理との対を明示する。末尾近く、建速須佐之男之命の雷撃が騎兵の鉄の鎧を貫く場面は印象的だ。先端兵器たる鉄の鎧が自然現象の雷に打ち負かされてしまうという構図は、アナロジーとして現代にも通ずるだろう。卓素に先立って、勢理を導く阿身も副主人公として十分魅力的に描かれている。ところどころ表現が軽すぎたり、説明口調に流れたりもしているが、全体としてみれば構想の雄大な力作である。
古市卓也「鍵の秘密」。600枚をすんなり読んだ。粗筋は駄目。ストーリーの半分ほどしか書かずに含みを持たせるのは、審査に出すものとして失格。学校と王城が裏表になっているという以上の広がりがないにもかかわらず、よくここまで書きこんだものと、変に感心する。肝心の裏の世界で展開されるのが、なぜ王家の権力争いなのかちっとも分からない。発想は、RPG(ロールプレイイングゲーム)そのものなのではないか。「スーパーマリオブラザース」でクッパ大王に幽閉されたピーチ姫をマリオやルイージが救出に向かうというパターンである。だとすれば、これだけ長いのもうなずけなくもない。「スーパーマリオ」は普通の腕ではとても八面までクリアすることが出来ず、延々とテレビの前に座りこむこととなるのだ。それと同じように、この作品には、書き手自身がリンド姫の救出に淫しているむきがある。長所でもあり欠点でもある。現実世界である学校や家庭が書きこまれていないことも問題だ。主人公・昇の知らない教師がいたり、教室の鍵を朝一番に登校する生徒が開けろというのも不自然ではないか。とはいえ、王城の世界をもっとスリムにして、こちらの世界を膨らますと、これはこれでなかなかに魅力的で、世代を越えて楽しめる世界になるのではないか。小説の文章としては、三作の中でもっとも筋がいい。筆力と将来性を買う。
二木れい子「夢の庭」。音楽を取り入れるなど、アイディアとして、またストーリー展開も3作の中で一番光るものを持っているかもしれない。しかし、この作品はいただけない。このような無国籍の物語で王権の問題を扱っても、よほど念入りに描かなければ、絵空事にしかならずリアリティーを持ちえない。読後感が希薄な所以。「鍵の秘密」の方が、枠があるだけましというもの。何よりいけないのは、小説の作り方に粗が目立ちすぎること。一つは台詞。語り口調をそのままなぞっても、小説の言葉にはならない。決定的な傷は語りの揺れ。この作品は、まずどこにでも潜入しうるフラットな語り手により語られ始めるように見える。ところが、読み進むと語り手が登場人物に同調する表現が頻出する。それも、意図的に特定の人物にシンクロするというのではなくきわめてノンシャランなのだ。読者はきわめて居心地の悪い印象を持ちながら読み進めなければならなくなる。こういう語り手を意図的・方法的に使うことはもちろん可能だ。例えば、椎名鱗三は『邂逅』で語りの視点をめまぐるしく転換させ、神の眼を模索する実験を試み、回心を表した。だが、ここでは語りの転換は無造作に行われているに過ぎず、破綻としかいえない。

中澤千磨夫
選考委員会幹事/北海道武蔵女子短期大学教授/本センター評議員
●日本近代文学から現代文化論と守備範囲は広い。小津安二郎監督の全作品分析を目論む『痙攣するデジャ・ヴュ』を複数の雑誌に断続連載中。著書に『荷風と踊る』など。
 近著の鼎談『『羅生門』とは何か』で芥川龍之介と黒澤明をクロスオーバー。小樽市在住。

奨励賞の創設は新たな書き手への「げんきだま」
工藤左千夫

 第四回児童文学ファンタジーの最終選考を終えて感じたことがある。それは、今回より選考委員になられた今江祥智さんの意見からだ。「候補三作とも、王位継承とそれにまつわる戦い……」
 言われればその通りだ。確かに今までの大賞や佳作を観ると、今回のようなパターンはない。それに、名作といわれたファンタジーにもそのパターンは少ないように思われる。
 これは新たな潮流などと大層なものではない。それらは、漫画の世界では常に跋扈していたものだから。
 また、王権交代とそのための戦い、この二つのプロットに、今、どれだけの意味があるというのか……?
 戦いは、フロイト流に述べれば「タナトス」の必然。とはいえ、数少ない名作には戦いの必然があった。それは、物語を創るための必然ではなく自己の不確実性への渇望だ。我々はその重みに感動し、そして自らの心を解放した。ゲドの戦い然りクラバートの戦い、また然り。そこには、安易な物語への拒否という作家の真摯な姿が映っていた。 
 今回、大賞と佳作の受賞なし。妥当だと思う。本賞においては、既に大賞2作、佳作2作が選出されている。そのため、大賞や佳作の評価基準はあるのだ。しかし、恒例のように新進作家と秀作が輩出するとは限らない。奨励賞の創設は新たな書き手への「げんきだま」と言える。

・「鍵の秘密」
 児童文学とファンタジーの形式(課題?)にはフィットしている。が、出入りの多さはうるさ過ぎ。300枚程度の物語に倍の原稿は多すぎる。

・「あかねさす入日の国の物語」
 個人的には好きな作品。しかし、タイトルの「くささ」は何とかならないか。また、 「ファンタジーとは何か?」を書き手はもっと追求すべきである。
 本作品は、歴史文学とファンタジー文学の境界といえるのだが、その融和には二歩遠い。

・「夢の庭」
 書き手は、今回で4回目の大賞候補者。読めるのである。ただ、読めるだけである。毎回のことではあるが、思わせぶりの表現も、物語の先行きも冒頭数十頁で判ってしまう。
 なぜだろう? おそらくそれは二重の作り物のような感覚でしか読者に入ってこないためだろう。
 書き手は、無国籍童話の手法を軽んじているのではないか。無国籍童話でのリアルな世界を描くことは難しく、特に書き手の力量が問われやすい。一度、そこを離れた世界から作品を模索してはどうか。今のままでは、漫画の焼直しにしか読者には映らない。

(追記)応募規定の原稿枚数を越える作品が多い。長ければ云々の姿勢は考えもの。規定外については、今後検討するつもりである。