ドーンDAWN5号


発行日:1997年11月1日
第3回児童文学ファンタジー大賞応募・選考経過

大賞
「鬼の橋」伊藤遊
佳作
該当作品なし

 第3回児童文学ファンタジー大賞の公募は、1996年10月から1997年3月31日までの期問で行われた。(第4回は1998年3月31日まで)
 応募総数178点。
 1次選考において30点が通過、3次選考では8点、3次選考会においては次の4点が大賞侯補作となり、最終選考委員に送付された。

 小林栗奈「はるかなる砂の海」
 小林栗奈「四十二行の黄金」
 伊藤遊「鬼の橋」
 二木れい子「星の海草の波」

 最終選考委員会は河合隼雄(委員長)、神沢利子(副委員長)、佐野洋子、清水真砂子、中澤千磨夫、工藤左千夫の6名によって構成され、1997年9月28日、小樽にて開催された。 
選考会は、大賞推薦の作品の有無から始まり、結果としては大賞1点、佳作は該当作品無しということで、全選考委員の意見が一致した。
 


伊藤遊
36歳 札幌市在住
略歴 1959年京都市生まれ
 1982年立命館大学文学部史学科卒業
 1982年京セラ株式会社勤務
 1984年同社退社結婚
 1996年「なるかみ」第2回児童文学ファンタジー大賞佳作受賞
(「鬼の橋」400字詰原稿用紙換算枚数・350枚)
 

 あらすじ
 814年、夏。餓えと病が平安京に暗雲をもたらしていた。
 童形の小野篁(おののたかむら)は異母妹比右子(ひうこ)と荒れ寺へ行く。隠れ鬼をして遊ぶうち、比右子は古井戸に落ちて死ぬ。罪の意識に悩む篁は無為な日々を送るようになり、父の説教も耳に入らない。ある日再び荒れ寺に向かった彼は、五条橋の下に住む阿子那(あこな)という少女と出会う。阿子那の父は橋の造営工事中に事故死したのだ。荒れ寺の井戸から、篁は見知らぬ世界へ引き込まれる。そこにはこの世とあの世を隔てる大きな河が流れていた。河に架かった橋を渡る途中、篁は鬼に喰われそうになる。彼の危機を救ったのは、すでに他界した征夷大将軍坂上田村麻呂だった。将軍は「死後も都を守護せよ」という勅命により、いまだに河を渡れずにいるのだ。
 将軍に諭されて現世に戻った篁は、洪水で壊れそうな五条橋で再び阿子那に会う。彼女は橋を守ってくれる人間を捜していた。六道の辻の方角から現れた大男が、身を呈して橋を守る。非天丸(ひてんまる)と名乗る大男を篁は鬼だと思い気が許せない。果たして非天丸の正体は鬼であった。将軍に片ツノを折られ鬼の力を半分なくした非天丸は、阿子那といっしょに橋の下で人間の暮らしを始める。
 新月の夜、鬼たちが非夫丸を連れ戻しにやってきた。篁は非天丸とともに捕らえられるが、将軍に助けられ、弓矢を借りて阿子那の救出に向かう。鬼を倒した篁は、阿子那に非天丸は鬼だと忠告するが、彼女は聞き入れない。父は年内に篁を元服させると告げる。だが篁は大人になる決心がつかない。将軍の弓で腕だめしをしようと雪の中を出かけ、凍えて倒れる。息を引さ取った篁は冥界の河を渡ろうとするが、橋の上には将軍が立ちふさがっていた。酒を飲んで仮死状態の衛門少尉を連れ、篁は三たび現世へと舞い戻る。
 正月、父は陸奥守に任命される。しかし母も篁も陸奥行きにしり込みをする。そのころ五条橋は盗賊の手で焼かれてしまう。火を消そうとした非天丸は燃える橋もろとも川に落ちる。鬼の讒言で放火犯の濡れ需れ衣をきせられた篁と阿子那は、検非違使に捕まる。篁は地獄の使者を装う奇計で検非違使の手から逃れ、火傷を負った非天丸も一命をとりとめた。
 春。詔によって五条大橋の架橋工事が始まった。阿子那と非天丸の親子は人足として働くことになる。父とともに睦奥へ行く決意をした篁は、自ら元服を願い出る。
 

 受賞コメント
 物語を書き始める前の私は、卵を抱く鳥のようだ。しかし肝心の卵は、自分が産んだという実感がない。もしかしたらどこかで拾ってきたものかもしれないし、私の留守中に誰かが巣の中に勝手に産み落としていったのかもしれない。
 だが、とにかく卵はここにある。私はそれをあたため続ける。名前を付け、性格を与え、時には熱心に、時には半ばその存在を忘れて、いつまでも卵を抱く。穀が割れて生まれ出た姿を、繰り返し繰り返し想像しながら。想像と現実の境日が怪しくなる頃まで――。
 その一方で、いつか卵が孵った時に役立ちそうなものをせっせと集める。ついつい無用なものまで拾い集めてしまうのだが、かまわず巣の中に溜め込む。
 短い期間で孵化する卵もあれば、いつまで抱いていても何も出てこないものもある。待ち切れずに割ってみると、中身が空っぽだったりする。そういうのに限って殻が美しいからやっかいだ。
 いよいよ卵にひびがはいる。生まれ出たものは、おおよそは私が想像した通りの姿なのだが、どこかが違っている。予測のつかない行動をし、予想もしない言葉を話し始める。それが勝手な方角へ駆け出すのを、私はあわてて追いかける……。
 書いている間は幸せだ。筆が進む時はもちろん、行き詰まった時でさえ、難局を打破しようと、持てる限りの力でもがく自分がいとおしいと思う。
 その幸せの向こうに、受賞というもうひとつの幸せが待っていた。というのは、いかにも虫のよい話で怖いくらいだ。「罰が当たらないだろうか?」非天丸の大きな背中に、そっと問うてみる。

審査員選後評

河合隼雄
選考委員長
現在 国際日本文化研究センター所長・京都大学名誉教授・本センター顧問・臨床心理学者
●世界的な臨床心理学者として著名であり、著書も多数。岩波書店より著作集全14巻。豊富な臨床体験と東西文化の比較、ユング心理学等の深い洞察を通して独自の世界を構築中。奈良市在住。 

*ファンタジーは、現実と遊離した絵空事ではない
 今回はファンタジー大賞として、伊藤遊さんの「鬼の橋」が決定した。大賞を選定できて、選考委員長として非常に嬉しく思ったが、佳作がなかったのは残念なことであった。
 「鬼の橋」は京都の小野篁の伝説を踏まえた創作である。第一回の選考委員会で、ファンタジー作品の主人公の名前に片仮名のが多く、日本名の主人公の作品が待たれる、と話合ったが、それが成就されて嬉しい。もっとも、われわれは日本名の主人公の作品を別に贔屓にしているわけではないので、その点は誤解のないように。
 「鬼の橋」の主人公は小野篁の少年時代、十二歳のときから話が始まり、彼が「元服」という人生における重要な節目を、しっかりとこえようとするまでに、その内面においていかに凄まじいドラマが生じるかをよく描いている。それは、現代の少年たちにとっても、そのまま通じることである。現代の思春期の少年がいかに大変な内面生活をしているかは、最近の衝撃的な事件によって一般の人々にもある程度の認識を得ている。
 「鬼の橋」の篁少年は、この世とあの世の境目に立つ経験をする。しかし、これはある意味では、現代のすべての少年が経験していることと言ってよいことだ。ただ、そのような「現実」が通常はあまり見えない。そのために大変な悲劇が生じるのだ。そこで、そのような「現実」を何とか人々に伝えようとすると、ファンタジーという方法が非常に適切になってくる。ファンタジーというのは、現実と遊離した絵空事ではない。
 この作品の強いところとして、作者が京都の史実や伝説に詳しく、それをうまく作中に取り込んでいる点がある。ファンタジー作品を書くためには、現実の認識やその記述ということにすぐれていなければならない。
 「鬼の橋」についても言いたいことは沢山ある。非天丸という鬼が興味深くはあるが、これが十分に描かれていない。なぜ角の片方を祈られたのか。なぜあまりにも「よい鬼」にあっさりと変っていくのか。片角の鬼という存在は極めて重要な役割であるだけに、この非天丸のイメージをもう少し心のなかに抱いてみて欲しい。もう少しイメージが豊かに生き生きとしてくるのではなかろうか。
 佳作なしというのは残念であったが、作品の内容からして致し方のないことであった。「読みもの」としては読ませる作品もあったが、どうしても知的作業という感じが強く、一人の人問の全存在を賭けて生み出された、という追力を感じさせない。どうも「ファンタジー」ということが誤解されている気がしてならなかった。最終選考に残った作品の作者たちは、構成力や表現力の優れた人たちであるだけに、もう一度ファンタジーの本質を考え直して、再挑戦していただくとよいだろう。次の第4回にも素晴らしい作品が数多く寄せられるのを期待している。 
神沢利子
選考副委員長
児童文学作家
●日本を代表するファンタジー作家であり、創作活動における真摯な姿勢と根源を求める感性は衰えることを知らない。
 大人・子どもの境界を越えた多くの愛読者の存在は、神沢文学の無限の可能性を知らしめるものである。東京都三鷹市在住 

*「鬼の橋」に至ってやっと救われた思いがしました
 ファンタジー大賞も3回目を迎え、今年はどんな作品に出会うのか楽しみでした。
 第1回第2回もそれぞれにバラエティに富む作品が集まりましたが、今回は少し違いました。1編をのぞいてあとの3編に同質のものを感じるからです。
 「星の海草の波」
 この作者は前回に2度も最終選考に残る大作を寄せた力量ある方です。この度の作品はぐっと短かくなり、老人の語りからはじまる導入から読みやすいものとなりました。しかし、その分作者の待ち味が薄れて主人公たちは画像として動くのですが、ガラスを距てて見るようなもどかしさがありました。未来のこの星の生活をたのしいバラ色の世界としては、とても描けないのだとは思うのですが、辛い生活の中にも生きることのよろこびがもう少し描けていたら……。自分の存在埋由を求め、たしかな愛を求めて揺れ動く少年の心は現在に繁るものと思いながら、読者としては満たされないものが残りました。
 「はるかなる砂の海」
 2071年というぎょっとする程近い未束――地球はこんな風になっているのでしょうか。「四十二行の黄金」と同じ作者のものですが、こちらは抵抗なく読み進みました。若い読者たちは好んでこのような作品を読んでいるのだろうなあとも思いました。細部で例えば姉「星夜」の年令に首をかしげたりするところはあるのですが、面白く読みました。しかし、やはり前二作品のように全く無機質で無色無臭の色のない世界を見るようでした。シナリオ通りに美しい面像が動いてゆくのです。ここにもっとヴィヴィッドな人間像を求めるのは無理なのでしょうか。こうした作品を受けつけなくなっているのは、私が年をとり過ぎたのか、心が硬くなったのか考えさせられました。
 「鬼の橋」
 この作品に至ってやっと救われた思いがしました。週去の京都を描き、冥界と往来したと伝えられる小野篁の少年時代を描いて、ここには作者の息吹さが感じられます。
 前回佳作の「なるかみ」に比べて文章は格段にふくらみと陰影を時ち、構成もたしかで作品の幅は広くより深いものとなりました。橋とは象徴的なものです。鬼も出没するこの橋と、あの世へ通じる三途の川にかけた橋がありますが、少年が渡るべき大人への橋、元服の儀式も最後に描かれていることを興味深く思いました。ひとつだけ角を折られた性悪という礼つきの鬼非天丸が登場する場面の第一印象からして、実に善い(ひとが)感じなのです。鬼と人の間――これも境界の橋上にいる存在ですが――である彼の引き裂かれた思いが、倒えば人を食いたいのに耐える場面のようにもっと描かれたかった。角を折られたために人らしく善い性質に見えるのなら、そこの描き足りなさを借しみます。しかし、成長する少年の真情は、現在の子どもたちに通じ、子どもたちは心揺すぶられながらこれを読むでしょう。カのこもった大作と出会えたことは何よりのよろこびです。
 これで3年の任期が終りました。審査など未経験で力のない私が迷い落ちこみながら、どうにか3回勤めさせて頂けたのは、審査委員長河合先生はじめ、委員みなさまのおかげと心がらお礼申上げます。これから読者として沢山の秀作が拝見出来るのを楽しみにさせて項きます。


佐野洋子
選考委員
絵本作家
●『おじさんのかさ』『100万回生きたねこ』等、独特で且、心を打つ作品群は絵本文学と呼ぶに相応しい。また、軽妙なエッセイ群も氏の豊かな感性を物語り、その本音(毒舌?)の前ではオブラートなど通用しない。東京都多摩市在住。

良い読み物を読んだ喜び
 「鬼の橋」が抜きん出て良いと思いました。
 審査する身を忘れて、長い読み物を読んだ喜びがありました。私は商品となった書物を沢山読みますが、1年に1度1冊心に残る本にめぐり会ったら当たりと思います。「鬼の橋」はその1冊になりました。日本の過去にさかのぼったこの作品が日本では多分異色の作品に位置する欧米一辺倒の日木支化の偏りをあらためて考えました。しかし、14歳の主人公の少年の心情は現代も変らず、ゆれ動く思春期の心のあり様に切なく共感致しましたし、みなし児の少女の率直で健康な生き生きした行動に力づけられました。そして何よりも少年の成長を心から嬉しく祝福したく思います。私も1匹片角の鬼を友達に欲しいです。
 3年の任期を終え、なおファンタジーとは何かという根元的な間に答えはないままです。現実はさびしくむごい、その現実を生き抜くために必要なものは現実から逃げるのではなく、なお生き続けるために必要なもの、希望を待ってなおこの世は美しいと感じられるもの、それは小さな花かもしれず、風の音でもありましょうが、良いファンタジーを待ち続けることかも知れません。


清水真砂子
選考委員
翻訳・評論家/青山学院女子短期大学教授
●『ゲト戦記』(1−4巻)の訳者として、その翻訳のカ量は周知である。
 また、『子どもの本の現在』等、評論分野での評価も高く、氏独自の観点がら子どもと大人、性別等の境界を取り外し新たな地平を模索している。掛川市在住。 

大賞一点、佳作なし迷いはなかった
 夏の1日、最終選考に残った作品4点がどさっと宅配便で玄関に届けられた。なかなか開けられない。こわいのだ。選考なんて大それたことを、という思いがこの3年いつもあった。9月も半ばになってやっと封を開け、ページ数の少ないものから読み始めた。重さ1.7キロをこす「鬼の橋」は最後になった。
 「鬼の橋」にいきつくまで、私は読みながらいつもいらいらしていた。うすら寒ささえ覚えていた。いや、本当に寒いのだ。そこにはこの地上に生きていれば日々覚えないではいられない風や光の感触も、においもなかった。心のゆらぎやよろこびも、ことばだけがむなしく週ぎて、こちらには伝わってこなかった。
 今年は応募作品を読む時間と、マーガレット・マーヒーの長編の訳稿の最終校の校正時間とが重なった。最後の校正を終えようとして気がつくと私は、日常って、こんなにこくがあって面白いものだったか、と何度もつぶやいていた。次々と起き出して集まってくる家族。トーストの焼けるにおい。とびかう会話。冷蔵庫を開け閉めする音。開けた玄開から入ってくる人の話し声。なんでもない朝の台所の描写にこちらの五感は目覚め、からだじゅうがそわそわと熱くなってきたりするのだ。なのに、応募作品に共通して感じられる、この無機物に触れるような冷たさは何なのか。書き手の関心はどこにむかっているのか。やがて私は、読み終えた3作に幸福がまったく書かれていないことに気がついた。よろこびが書けていないといっていい。いや、生きるよろこびにむかってそもそも書き手の心が、からだがひらかれていないのではないか。
 最後に残った「鬼の橋」もこんなだったらどうしよう。私は昨年のことが思い出されて、不安だった。昨年は最終選考日当日の朝になっても推したい作品がなくて困っていた。あんな思いを抱いたまま小樽にむかうのはつらい。
 ところが、「鬼の橋」を読みだしたとたん、私はうれしくなった。ここには生きた人間がちゃんといるじやないか。若い娘のはずむ声がして、古井戸をかくしもつ草むらのにおいもすれば、濁流の音もすぐそこに聞こえるじゃないか。若者が大人になることを自らうけいれていくまでの葛藤も文字どおり手にとるようにわかる。作品の時代ははるか昔だけれど、この葛藤は現代の子どもたちのものでもある。私はすうっとからだがらくになって、小樽にむかうのが楽しみになった。いい作品に出会うのはいつだってうれしいが、とりわけ選考委員をつとめる最後の年に初めて確信をもって推せる作品に出会えたのはうれしかった。大賞一点、佳作なし。迷いはなかった。
 選考会を終えて東京に戻る機中で、この次小樽を訪ねるのはいつのことだろうと思った。さびしくはなかった。委員という荷物をおろして、さあ、私も自分の仕事をしようと思った。


中澤 千磨夫
選考委員会幹事
北海道武蔵女子短期大学教授
本センター評議員
●永井荷風、谷崎潤一郎などを専門とするが自らの専門にとどまらず、授業ではユ二一クな世界に取り組む。また道内新聞紙上での書評・時評は評価が高い。小樽市在住。 

シンプルなタイトルが内容を簡潔に示す
 伊藤遊「鬼の橋」。シンプルなタイトルが内容を簡潔に示している。橋、井戸、辻といった境界を舞台に、少年小野篁が現世と来世の狭問に入り込み、鬼や死者坂上田村麻呂と交わるという構想が秀逸。阿子那という少女と異人たる鬼の非天丸との交流が、篁と異人たちとの交流に通じ、ひいては篁の成長を促す。馬鬼牛鬼の会話などユーモラスな面にも満ち、篁が父の悩む姿を見て自ら元服を決意する様子には説得力がある。死体が町に満ちみちているのも、現代の私たちが置かれている状況に通じているわけで、けして昔の物語に終わっているのではない。
 陸奥の国司に任ぜられた父に同道しようとする篁は次のように思う。「たび重なる戦いで踏み踊られた彼の地。言葉も習慣も異なる人々。そこに一から秩序を作り上げてゆくのが、国司の仕事だ。彼らは鳥や獣を獲り、自然の実りを集めて生活しているという。その土地を区切り、米作りという中央のやり方を椎し進める。それが陸奥にとって差し込む光となるのか、厳しい寒さの中ですべては無駄に終わるのか、篁には見当がつかない」。に象徴される中央集権・天皇制を批判・相対化しているからだ。声高に主張されていないのが、なんとも心地良い。ちなみに、稲作の間題はあの宮澤賢治のアキレス腱でもある。だが、それは別の話。
 冒頭11行は不要だろう。その後半が説明になってしまっているのが、特にいけない。次の「「なにするのよ!」」という台詞からいきなり入る方が、どれだけインパクトを与え?や、死人にあふれていることは、梨木香歩の『裏庭』をヒントにしたのではとも思わせたが、気にするほどのことではないのかもしれない。
 文句なしに大賞をというには少し躊躇があった。それは、全体的に素直に過ぎること。もちろんこれは大きな美点ではあるのだが、私にはもう少し毒というか、不良っぽさが欲しかった。ただ、同じ作者による前回の佳作受賞作「なるかみ」からは数段の飛躍を感じさせ、この作品をもって3度続けて佳作では、大賞の敷居があまりにも高過ぎると私は考えた。作者は児童文学にこれまでなかった領域を開いていける書き手だと思う。『裏庭』とは違ったタイプの作品が大賞に選ばれたことで、児童文学ファンタジー大賞の幅も広がる予感がする。
 小林栗奈「四十二行の黄金」。謎に満ちたタイトルが良い。秘密結社に追われている活版印刷術の発明者老グーテンベルク(ヨハネス)が、出会った少女に過去を語っていくというアイデアは候補全作品中でピカ一だった。読んでも読んでも私にはよく分からない点もあり、それが逆に大きな魅刀でもあった。ョハネスが、死を恐れる者から死を恐れない者へと変化するのにエンネルの励ましが大きく働く。この時、ヨハネスは錬金術という現世的価値を捨て、印刷術の本当の価値に目覚めるのだ。エンネルの励ましとは、「偽物の写本」よりも「本物の印刷本」をという感動的なものだ。ヴァルター・ベンヤミン風にいえば、アウラ消滅の元凶(笑)であるヨハネスが、複製技術の力を確信するということになる。思えば、私たちの身の周りのファクスや電子メールなどを挙げるまでもなく、オリジナルとコピーの境界が曖味になってしまっているわけで、エンネルのいう本物の印刷本(偽物)からは現代的な意味を聞きとることが出来よう。
 同じ作者による「はるかなる砂の海」はわくわくして読んだものの、救出劇がわりとあっけなくスケールが小さい。二木れい子「星の海草の波」には現実感覚とでもいうべきものが決定的に欠落している。科学批判も薄手である。もっと足元を見つめた作品を読ませてほしいものだ。


工藤 左千夫
選考委員会代表幹事
〔小樽〕絵本・児童文学研究センター所長
●生涯教育と児童文化の接点を模索しつつ本センターを1989年に小樽で開設した。
 現在総会員数850名を越え、2年半に渡る54回の講座を行うとともに、多様な公益事業に取り組んでいる。小樽市在住。 

バーチャル的感覚とファンタジー文学とは本質的に異なる
 ファンタジーとは何だろう?
 それなりのイメージとしては埋解しているつもりである。が、選考会の回数を重ねるたびに「ファンタジーとは何だろう?」と自問する。
 本年の選考会(第3回)は今までになく平坦。大賞受賞作が選出されたのにもかかわらずである。各選考委員の真撃さは今までと同じ。しかし、焦燥感としかいいようのない「場」が続く。このことは、最終選考会だけではなく三次選考会においても同様の感じをうけたのである。
 今回の応募傾向は、とにかく「近末来」のお話が中心。そのことを否定的に考えているわけではない。しかし、「しかし」の言葉が連発される。神沢委員曰く「私たちの未来は、この程度なんだろうか?」神沢さんの言葉に総ての思いが詰まっている。
 文学はその時代の精神なるものを嗅ぎとっていく。本賞創設の一つの意味は、確かにここにあった。その嗅覚なるものは「書き手」の思惑を越え、作中の人々があたかも実在するかの様相を呈して初めて意味をもつ。極論になってしまうけれど、ほとんど(待に近未来)の作品にはこの実在感覚が欠如していた。
 「無機質」という言葉が選考会で飛びかう。読み手は書き手の息を感じていたい。しかし、無機質で表情のない、つまり機械的に操作されている人間像の排出。バーチャル的感覚とファンタジー文学とは本質的に異なるのだ。そのような混同の多さに、大賞決定の喜びとともに、各委員には焦燥感が同居していたはずである。「佳作なし」には、深い意味を感じる。
 とにかく第3回児童文学ファンタジー大賞の幕はおりた。
・「鬼の橋」
 昨年の佳作受賞者。今回は、小野篁伝説を素材とした作品で、筆力は昨年以上。古い時代を背景にしていても、現実の少年が、少女が作中には生きていた。新たな作家の誕生を予感。
・「四十二行の黄金」
 グーテンベルクの奇妙な物語。本作品は、ファンタジーというよりもミステリーのジャンルに属する。筋の展開は力量十分。しかし、「児童文学」の要請に応えているとは言い難い。力量のある作家だけに次回を期待したい。
・「はるかなる砂の海」「星の海草の波」
 共に近未来の作品。両作品とも、読了だけはさせてくれた。しかし、安手の青春ロマンの域。本賞の求める課題「大人と子どもの狭間で悩む人間像」には程遠い。

(追記)本賞の最終選考委員の任期は3年(再任可)である。主催者として、河合・中澤・工藤は再任。神沢利子さん・佐野洋子さん・清水真砂子さんは今回をもって選考委員の任を離れる。今までのご協力に心より感謝したい。 

最終選考傍聴記

立花 峰夫
北海道情報大学教授
本センター評議員 

 前日来の雷を伴う激しい雨も上がり、心地よい秋晴れの中での開催に、関係者には安堵の色が見られた。最終選考会もこれで3度目。選考委員の顔ぶれも変わらないので何かくつろいだムードさえ感じられる。しかし、同じメンバーでは最後の選考会でもあり、これまでの経緯から、今年はどんな論戦が展開されるのか、ギャラリーとしては期待が膨らむ。その上、昨年度は佳作のみ。今年も果たして大賞が出ずに終わるのが、やはり気が気でない。とりわけ3次選考まで関わってきた人達の心中は穏やかではなかったはず。
 定刻になって、越前谷会長の挨拶の後、工藤代表幹事からの経週報告があった。応募総数178点の中から、(1)「はるかなる砂の海」(小林栗奈)(2)「四十二行の黄金」(小林栗奈)(3)「鬼の橋」(伊藤遊)(4)「星の海草の波」二木れい子)の4作品が大賞候補作品として選ばれている。すべて女性ばかりという点は昨年同様だが、昨年の佳作入賞者や3年連続の候補者の名前がある点、それに一人で2作品も候補となっている点が目に付く。
 さて選考会は、「例年とは逆順でどうですか」という河合委員長の一声で、作野さんが口火を切る。いきなり指名されて少し面食らったようだったが、そこは佐野さん、少しもあわてず「(1)より(2)はなかなか良いレベルにあるが、(4)は感心しない」とズバリ作品の本質に切り込む。(3)は「過去の日本と西洋の対比があっておもしろく読め、もっとも良い」作品と評価。以下他の五人の委員の評価もおおむね共通していたと言ってよい。中澤さんは、(1)と(4)の問題点を具体的に指摘した上で、特に(3)の「橋や井戸や川」などを用いた点のアイデアが良いとし、昨年の佳作「なるかみ」から見てもずいぶん良い出来と評価。工藤さんは、(2)は果たして児童文学かファンタジーかとの疑問を提出。清水さんは、(2)と(3)はよく読めたと述べた後、(1)と(4)は登場人物のキャラクターが書けていない、また枠組みに向かって書かれているが、作者に「ほんとうに書さたいものがあるのか」と疑問を投げかける。「書きたいことがなければ力にならない」「書くべき必然性がない」「幸福が感じられない」と書く姿勢を厳しく問う。神沢さんは、(1)と(4)は読み易いが、「末来への展望がなく」「明るさがなく」「無機質な透明感があるだけ」と厳しく批評。多少の不満はあるが「肉体をもった人間が出てくる」点で(3)を評価できるとした。最後に河合さんは「自分が年取ったせいなのか、無機質でテクニックだけの作品が多いと感じられる」と嘆きながら、(2)と(4)をやんわり批評。(3)については、「主人公の背負っているもの」=「異母妹の死」が見えてよいとしながらも、細部において不明な点があり「何か足らない」と不満を述べた。
 コメント一巡の後、「透明で無機質な世界」が描かれる傾向についてそれぞれ意見が出された。「写真の皮膜のみ」の「バーチャルリアリティ」ばかりを追い、実物の姿が描かれないのは現実を見るのが怖いからであり、そこには「ファンタジー」の誤解がある。むしろ「ファンタジー」はそれによって醜い汚い現実を読者に気づかせ、「影」によって現実を浮かび上がらせるものだ。そんな佐野さんの言葉が強く心に残る。
 大賞については大きな意見の対立はなく登竜門としての「ファンタジー大賞」という点をふまえ、若干の不足や疑間を指摘されながらも、伊藤遊さんの「鬼の橋」が大賞と決まる。結果は、ギャラリーの期待を半ばは裏切り、半ばは大いに応える形となった。激論が交わされることがなくなったのは、それだけ応募作品が一様化しつつあるからではないかと危惧される。それはともかく、伊藤さん、佳作に続く「大賞」受賞おめでとうございます。